経済界に幅広い人脈を持つ松井功・日本プロゴルフ協会相談役(72)=スポーツ報知評論家=が、財界トップランナーにゴルフや経営について聞く「松井功のグリーン放談」。第4回のゲストは、富士フイルムホールディングスの古森重隆代表取締役会長兼CEO(74)。デジタル化による写真フィルム激減という“本業喪失”の危機を、「魂の経営」で乗り切った剛腕経営者は、財界きっての飛ばし屋でもあった。
《1》75歳で270ヤード 体力は自信
松井「古森会長とはかれこれ10年近く、お付き合い頂いていますが、驚くのはその飛距離です。財界で会長より飛ぶ人、聞いたことない」
古森「まあ、あまり聞かないですね。私は今年で75歳になりますが、60代、70代の方には負けないんじゃないかと思いますよ」
松井「学生時代にアメリカンフットボールで鍛えたお陰でしょうか」
古森「そうでしょうね。最初、ゴルフはスポーツじゃないと思っていたんですよ。止まった球を打つし、歩くだけだし。ところが最初、ある先輩に練習場に連れて行かれたら、その人がガンガン飛ばす。えっ、ゴルフってこんなスポーツなのかと。これは面白い。飛距離とダイナミズム、アスリートのゲームだなと」
松井「始めたのは何歳のときでした?」
古森「31歳だったかな。最初に行ったのが西熱海というゴルフ場で、当たればドーンとすっ飛んでいく。ああ、これは面白いなと思いましたね」
松井「最初にプロに教わったというのはない?」
古森「当時は先生がいなかった。キチッと教わっていればもう少しうまくなっていたと思いますよ。当時は練習する暇もないから、すぐ実戦でしたね」
松井「今でも本当に飛ぶ。去年の暮れ、青木功さんと私、何ホールも飛距離で負けました。270ヤードぐらい出ていますね」
古森「シニアプロと女子プロには負けたくないと思っていますよ(笑い)」
松井「青木さんからその後、電話かかってきて『いやあ、まいったな、松ちゃん』って(笑い)」
古森「実は、右膝の半月板は故障しているし、左肩は腱(けん)が1本切れているんです。若いときは松井さん、あんな飛び方じゃなかったよ。ミドルホールワンオンは数知れず。時には、310ヤードだとか320ヤードだとか飛んでいたかと思いますよ」
松井「昔の道具で、ですから。大変です」
古森「飛ばすことだけが面白かった。僕はずっと営業畑でしょ、曲げると(取引先のお客さんが)喜んでくれるんですよ。『お前、飛ぶけど曲がるな』って(笑い)。もっと昔に松井さんと知り合って、ちゃんと教えてもらえば、もうちょっと楽なゴルフ人生になっていたかもしれない(笑い)」
《2》オーガスタ 絨毯みたい
松井「今日、マスターズが開幕しますが、昨年、オーガスタに行かれて、いいスコアで回ったそうですね」
古森「最初のアウトが41。(決勝翌日の)月曜日朝、2番手のスタートでした。マスターズ以外、ほとんど使わないから、芝が本当に絨毯(じゅうたん)みたい。フェアウエーを刈り込んだらグリーンになるくらいですよ。僕にしたらすごく良かった。パットのタッチが合うんですよ、ものすごく速いグリーンに」
松井「速いグリーンがお好きですものね」
古森「板か畳の上で打ってる感じでした。後半のスコアは聞かないで下さい(笑い)」
松井「実際に回ってみてどうでした?」
古森「素晴らしいコースです。うねりというかスケールが大きくて。グリーンは本当に速いし、力量が問われるコース、そういう意味ではフェアなコースですね」
松井「他に海外のコースで回られたのは?」
古森「セントアンドリュース・オールドコースでもプレーしました。ドイツから行った日本人ツアーのコンペで優勝したんですよ。カップが会長室に飾ってあります。セントアンドリュースで優勝したといったら一つの話になるかと思って。ゴルフ発祥の地、聖地というか。自然をいじらずに、そのまま活用していて、やっぱりいいですよね」
《3》安倍総理は 飛距離出る
松井「会長は安倍総理とも親しくて、よくゴルフもなさいますね」
古森「総理はスイングに癖がなくて、若いときからプレーされているゴルフですね。体格が良くて、自然に打っているけど飛びます。スリーハンドレッドの9番パー5で、フェアウエーの下り坂の半分ぐらいまでいったことありますよ。あれには驚きました」
松井「奥様もお上手」
古森「奥様も昔、陸上をされていたのではないかな。背も高いし、女子プロぐらい飛びます。お上手ですよ。麻生さん(太郎氏=副総理)もうまい。クレー射撃のオリンピック選手ですからね、運動神経が良いなあというゴルフですよ」
松井「しょっちゅうゴルフをなさっている中では、商船三井の芦田さん(昭充氏=代表取締役会長)も上手ですね」
古森「芦田さんは、うちのシニア(富士フイルムシニアのプロアマ)に来て頂いていますが、シニアプロと一緒に回って更にスイングが良くなっていると思う。芦田さんも大学時代、陸上でけっこう名選手だったと聞いています。今でも走ったりしているんじゃないですか。体の手入れをしている人が、ゴルフもうまい」
《4》若い選手は 社会に出ろ
松井「シニアトーナメントを主催されていて、シニアのプロをどう思われますか?」
古森「きちんとしていますね。あいさつも頂くし、トーナメント開催のお礼の手紙も下さるし。(プロアマに)参加いただいた方が非常に喜んで下さいますよ。(プロが)親切で気持ちが良いと。教えすぎる人もいるらしいけど(笑い)。往年の名選手と一緒に回ると楽しいですよね」
松井「青木功さんもホスピタリティーが素晴らしい」
古森「人柄は明るいし、名選手としての独特のオーラがありますね。しかし、それも松井会長時代からのガバナンスのお陰というか、PGAはきちんと統制がとれてる感じがしますね。お客様あってのプロです、ということが徹底されてる。みんな松井さんのお力だと思いますよ」
松井「ありがとうございます。それに比べて、若いプロは何か欠けてるように思いますよね」
古森「若いプレーヤーは、社会に対する触れ合いが少ないという感じがしますね。露出が少ない。社会あっての、ファンあっての、世の中の支援あってのプロスポーツだという意識を持たないといけないと思います。ゴルフをしてればいいんだという感じが、時に見受けられるけど、そうじゃないと思いますね」
松井「ある種の特権意識なんでしょうか」
古森「というよりも、いい意味での職業意識なんでしょう。プロはゴルフに徹すればいいという。それでいいんですよ。いいんですけれども、もう少し愛きょうのようなものが欲しいですね。花というか、社会に対して開いているというような意識が欲しいと感じます。あとは、ジュニアからプレーをしてきた人たちが中心になっているかと思いますが、仲間意識が強いのも(社会に対して開いていかない)一つの原因かもしれないですね。特別な世界があって、そこにとどまっているのではなくて、もっと、社会へ出てこないといけない。社会人の先輩として、そういう気がしますね」
《5》牛乳飲んで 体力作りを
古森「それから松井さん、最近のプロは小柄ですね。青木さんとか中嶋選手、尾崎選手、室田選手。みな強い人は大きい。若い子では松山選手は大きいでしょうか」
松井「確かに小柄な人が多い。なぜでしょう」
古森「やはり食事でしょう。昔はお母さんがきちんと食事を作ってくれて、カルシウムやたんぱく質もたくさん取った。今はそうでなくなっているのかもしれない。バランスが取れてないから、小柄なだけじゃなく骨格が小さい。ゴルフだけじゃなく日本スポーツ界全体の問題ですよ。もうちょっと体格を向上させないと、どんなスポーツでも勝てないですよ」
松井「そうですね」
古森「サッカーもそう。1対1で当たり負けしている。例があるんですが、ブラジルは昔からサッカーが強いけれども、昔の名選手には体格の貧弱な人がたくさんいた。それがヨーロッパと覇権を争うと、当たり負けするのが分かってきた。そこで、何をしたかと言うと、才能を持った子供たちをクラブに入れて、クラブで栄養のある食事をさせた。だから今のブラジルの選手は、みんな体格がいい。ゴルフもジュニアからやるのもいいけど、牛乳をたくさん飲ませるとか、カルシウム、たんぱく質を取らせるとか、やらなくてはいけない」
松井「会長は大学時代、アメリカンフットボールで体を作りましたね」
古森「体力というのは、インプットがあって、アウトプットがあるんですよ。大学時代、本当によく分かりました。栄養を取らないで練習しても、筋肉はつかない。ある時期、半年ぐらい栄養のある食事を取ることができて、ものすごい筋肉がついてきた。運動というのは、いい食事をしないとだめ。もっと科学的に考えないといけない」
松井「牛乳はいいですね。うちの子に飲めと言っても飲まない(笑い)」
古森「野球は、日本の選手は一流ですよ。文武両道、優れている、という感じで、運動神経も発達していて、ただし、まだ体格が小さい。日本のスポーツを良くするには、インプットが大事。食事が大事だということを、スポーツ報知さんにもぜひ、取り上げて頂きたい。スポーツを強くするために、食生活の改善が大事だと」
《6》業務転換で 過去最高益
トヨタに例えれば自動車がなくなる。新日鐵に例えれば鉄がなくなる。デジタルカメラの急速な普及で本業喪失の危機に見舞われた富士フイルムは、古森会長が社長兼CEOに就任した2003年以降、抜本的な業態転換を図る。そして、08年3月期には過去最高益を達成。V字回復の経緯を記した著書『魂の経営』(東洋経済新報社)は、ビジネス書としては異例の5万部という売れ行きを記録している。
松井「古森会長が先頭に立って、見事に危機を乗り越えましたね」
古森「確かに私が舵を取りましたが、社員全員で頑張ったということです。もう一つ大事なのは、富士フイルムは何のためにあるかということ。いわゆる、コーポレートアイデンティティーですね。富士フイルムはこれまで、いい品質のものを作ることに徹してきました。これが会社の特徴の一つです。もう一つは、企業活動がフェアだったということですね。そして、1月20日に80周年を迎えて『Value from Innovation』という新しいコーポレートスローガンを作りました。いい製品やいいサービスを提供することはこれまでと変わりませんが、イノベーション(変革)によって、新たな価値を社会に提供したいということです。今の日本のスポーツ界にも、やはりイノベーティブな考え方が必要なんじゃないでしょうか。ただ練習、練習だけじゃなくて、先ほど述べた食事の問題とか総合的な身体の育成、管理を考えないといけない。企業も同じです。何かイノベーティブなことをして、一段と会社を飛躍させて、世の中の役に立ちたい。基本を言えばそういうことですね。もっと頑張りたいと思っています」
松井「その競技で世界一になった。違うスポーツにと、言葉にすれば簡単ですが、よくご決断されましたね」
古森「スポーツでいうと、今までは『フイルム』という競技をプレーしてきたわけですが、その競技がなくなる。他のスポーツをしなきゃいけない。基本的には『フイルム』で養った力がベースになるのですが、新しい分野ではそれぞれの技術、やり方、ルールがありますから。さらに競争力を高めるために、一生懸命努力しているところです」
松井「最後に松山、石川の若い2人に、会長からエールを」
古森「この2人は、ファイティングスピリットは十分にあると思います。あとは体調管理。石川選手はもう少し、筋肉の厚みが欲しい。松山選手は(左手首を)痛めているのでしょう? しっかりと治したほうがいい。慢性化しちゃうから。あと、国際社会では自分の意見をきちんと述べること。だから英語も勉強しないといけない」
松井「倉本プロが新しくPGA会長になりましたが、何か、注文はありませんか?」
古森「注文は特にありませんが、松井さんが相談役で残っていらっしゃるのでしょう? 先輩の意見、アドバイスもよく聞きながら、きちんと運営して下さいということですね」
◆古森 重隆(こもり・しげたか)1939年9月5日、旧満州奉天市(現瀋陽)生まれ。74歳。63年東大卒。同年富士写真フイルム(現富士フイルムホールディングス)入社。主に印刷機材や記録メディアなどの営業部門を歩む。95年取締役営業第2本部長。96年富士フイルムヨーロッパ社長。2000年代表取締役社長。03年代表取締役社長兼CEO。06年持ち株会社設立に伴い、富士フイルムホールディングス代表取締役社長兼CEO。12年6月から代表取締役会長兼CEO。
デジタル化の進展で写真フイルムの需要が激減する中、会社の抜本的な事業構造改革を決断。液晶ディスプレー材料や医療機器などに経営資源をシフトし、業績をV字回復させた。公益財団法人日独協会会長。日蘭協会会長。07~08年NHK経営委員会委員長。
◆松井 功(まつい・いさお)1941年11月2日、神戸市生まれ。72歳。富士ゼロックス専属。用具契約はキャロウェイ。18歳で林由郎プロに師事し、66年プロテストにトップ合格。翌年、プロデビュー。主な戦歴は72年静岡オープン2位、79年全日空札幌オープン4位、80年ミズノゴルフトーナメント6位など。91年よりシニアツアーに参戦。2002年、日本プロゴルフ協会理事就任、広報委員長を経て、05年会長に就任。2期務めた後、13年から相談役。一般財団法人日本プロゴルフ殿堂理事長、NPO法人日本ジュニアゴルファー育成協議会(JGC)理事長、阿山カンツリー倶楽部理事長、解説のほか、ゴルフイベントの企画や講演活動と、幅広く活躍している。