
優勝カップを手に笑顔の工藤遥加
◆女子プロゴルフツアー アクサレディス宮崎 最終日(30日、宮崎・UMKCC=6538ヤード、パー72)
プロ野球・ソフトバンク元監督の工藤公康氏(61)を父に持つプロ15年目の工藤遥加(32)=加賀電子=が、5バーディー、ボギーなしの67で回り、通算10アンダーで3位から逆転し、ツアー初優勝を飾った。2011年8月のプロ転向から267戦。4991日目での優勝は、1988年のツアー制施行後では鬼沢信子の7242日に次ぐ史上2番目の遅咲きとなった。ホールアウト後は父への感謝が、涙とともにあふれた。
2メートル弱のスライスラインが、カップに消えた。18番、バーディー締めでもぎ取った、15年目の初勝利。「長かったです」。工藤は花開いた桜の木の下での優勝インタビューで、言葉を詰まらせた。父の顔が浮かんだ。「ふがいない娘で申し訳ないという気持ちだった。絶対に優勝して喜ばせてあげたいと思っていた」と流れる涙を拭った。
「優勝したい」と思えば思うほど、空回りすることが多かった。「リーダーボードを見ない」と決めてスタートした。5番で連続バーディーを奪い首位を捉えると、7番では3メートル半を沈めて抜け出した。味わったことのない緊張感の中、後半はしぶとくパーを拾い続けた。開幕4日前に主催者推薦での出場が決まった大会で、最終日ボギーなしの“完封勝利”を決めた。
2011年7月のプロテストに一発合格し、同年の新人戦を制した。「工藤公康の娘」の枕ことばがついて回った。同じアスリートとして「雲の上の存在」という。通算224勝左腕の娘であることは「めっちゃプレッシャー」。過去の最高成績は昨年RKB×三井松島レディスの4位で、シード獲得さえかなわず時は過ぎた。
父が21年にソフトバンク監督を退任した直後、母・雅子さんが「次は何をしたいのか紙に書いて」と言った。迷わずしたためられた「遥加を勝たせたい」の8文字。厳しかった父の愛に触れた。意を決して訴えた。「勝ち方を教えてほしい」。22年序盤はコーチとして師事した。今もアドバイザーとして支えてくれている。今季開幕前には練習場に一緒に行った。プレーの反省点を紙に書き出すこと。フルショットではないスイングでも思った通りの距離を出すこと。2つの助言が、この日の勝利につながった。
本格的にゴルフを始めたのは高校に入ってから。「プロゴルファーになりたい」と打ち明けると「自分でアルバイトをしながらプロになれ。好きならできるだろう」と父は言った。金銭的なサポートはなかった。祖母の和子さんが、高校時代の遠征費を負担してくれた。プロの世界で生きることの厳しさを誰よりも知る父は、娘を信じ突き放した。
48歳まで現役で投げ続けた父に負けじと「50歳までレギュラーツアーで頑張りたい」と言い切った。32歳で咲かせた花はまだ「五分咲き」。267試合目で手にした初白星にも浮つく様子はない。「今日だけ喜んで、また明日から次の試合に向けて頑張りたい」。幼い頃から見てきた、父の姿を思い出した。(高木 恵)
祖母へ孝行「良かった」…遥加に聞く
―リーダーボードを見ずにプレー。
「16番でボードが目に入ってしまったけど『よし』と思って。そこからちょっと緊張した」
―昨日、家族から連絡は。
「珍しくラインが来なかった。前に(下部ツアーで)優勝したときもそんな感じだった」
―父に何と伝えたい。
「早く帰って会いたい。『ありがとう』という気持ち」
―高校時代を支えてくれた祖母へ。
「だんだん年を取っちゃって弱くなっているのを見ると、早くおばあちゃん孝行もしたいなって思っていたので良かった」
―副賞は宮崎牛1頭分。
「家族が多いので、楽しんでいただきたい」
―今季の目標。
「複数回優勝を目指して頑張りたい」
◆工藤遥加(くどう・はるか)
▼生まれ 1992年11月18日、埼玉県所沢市。32歳
▼スポーツ歴 中学までアイスホッケー、バスケットボール、テニス、水泳と万能
▼ゴルフ歴 12歳から。中学までは年に1回クラブを握る程度で、東京・日出高入学後から本格的に始め、すぐに80を切った
▼趣味 兄・阿須加が出演している「ゴールデンカムイ」を見ること
▼特技 料理が大好きで「一回食べたら再現料理を作れる」
▼好きなアニメ「俺だけレベルアップな件」に自分のゴルフを重ね、はまっている
▼家族 両親と兄、妹2人、弟1人
▼サイズ 171センチ、65キロ