日本初のプロトーナメント「日本プロ選手権」の誕生 ―たった6人の出場者が果たした歴史上の快挙―


 日本で初めて行われたプロの競技会は1926年7月、「全国プロフェッショナル・ゴルファーズ優勝試合」の名称で行われた、のちの日本プロゴルフ選手権である。大会は、大阪・茨木カントリークラブに地元関西の4人のプロと関東から遠征した2人の計6人が初めて一堂に会し1日、36ホールで争った。日本で最古のプロ競技の成り立ちと試合の模様を出場した6人に焦点を絞り追う。プロ草創期の時代背景とともに壮大なドラマとなって見えてくる。

 茨木がオープンしてしばらくたった1925年ころ、茨木の初代プロ、宮本留吉は一人のメンバーとコースを回っていた。「ところで君たちには試合はないのか」と聞かれた。「そんなものはありません」と答えると「それじゃつまらないな」とその人は考えるような表情を見せた。
 メンバーは豊川良之助。ニューヨークに留学、現地の商社に勤めたのち、東京の英文毎日を経て大阪毎日新聞社の運動部で働いた。アメリカのスポーツ事情に詳しく、プロがいるのに大会がないことに疑問を抱くと、早速、動き出した。豊川は「プロの試合を開こう」と思ったのだ。
 当時運動部長の任にあった。同じ社の主幹で、やはりメンバーの一人高石真五郎に相談すると同意を得たので開催に奔走する。
 コースは茨木。プロはプロ第1号の福井覚治はじめ、2号越道政吉、3号中上数一そして茨木のコース立ち上げと同時に専属プロとなった宮本がいる。他に兵庫の鳴尾にトップアマの村上伝二がいた。技術的にはプロをしのぎ、同じメンバーの仲間に教えたりするとめきめき上達するとの評判の男だ。鳴尾ではプロになるのならいつでもいい、その時は面倒を見る、と言っている。
 関東に目を向けると、東京ゴルフ倶楽部に安田幸吉、横浜の根岸に関一雄がいることが分かった。人はそろった。

開催コースは茨木、6000ヤードをこえる本格チャンピオンコース
 コースが茨木に決まったのにはこんな事情もある。時代背景として重要なので述べておく。1925年、茨木は関西初の本格的チャンピオンコースとして華々しくデビューした日本で14番目のコースだ。全長6210ヤード、パー72は1922年、神奈川にオープンした日本で12番目の程ヶ谷カントリークラブに刺激され、大阪の財界人が立ち上げたチャンピオンコースだ。六甲に始まったコースだが、1920年ごろまでのものはいずれも今でいうショートコースでグリーンもサンドグリーン。だが、茨木と程ヶ谷は芝のグリーンに18ホール、世界仕様の6000ヤードをこえる本格的コースだった。

 当時アマの競技はそれぞれのコースで行われたクラブ選手権、会場記念杯、メンバーの家族による婦人競技会、六甲ではキャディーのための少年キャディー大会などがあった。その後、近隣のコースが対抗戦を行い交流すると、日本アマ選手権が1908年、六甲と横浜の根岸(正式名称、ニッポン・レーシング・クラブ・ゴルフィング・アソシエーション、略称、NRCGA)との交流競技がきっかけとなり始まった。これが日本の競技史上、最初の選手権大会。コースが出来、人が育つと競技で競い、他流試合、つまり選手権となる。自然の成り行きである。

1926年7月、日本プロ第1回大会のスタート前の6選手。右から越道政吉、安田幸吉、福井覚治、村上伝二、関一雄、宮本留吉

1926年7月、日本プロ第1回大会のスタート前の6選手。右から越道政吉、安田幸吉、福井覚治、村上伝二、関一雄、宮本留吉

写真提供、日本プロゴルフ協会
     日本プロゴルフ殿堂

第1組はプロ第1号福井覚治と21歳の安田幸吉
 こうして大会は大阪毎日新聞社主催、茨木、鳴尾、舞子、甲南の4倶楽部後援で1926年7月10日、雨模様の蒸し暑い日に行われた。出場選手をスタート順に紹介する。

第1組 午前10時5分 福井覚治(舞子) 安田幸吉(東京)
第2組 越道政吉(甲南) 関 一雄(根岸)
第3組 村上伝二(鳴尾) 宮本留吉(茨木)

 カッコ内は所属コース。福井覚治は33歳、日本のプロ第1号は栄えある第1打を放つ重責を担った。安田幸吉は21歳、記録に残る中では、関東で最初のプロといわれる。
 越道は福井の2,3歳下といわれるから31,2歳。生年がわからない。六甲の少年キャディー大会の常連で、福井に教えを受けた。関は”謎の男“、日本で2番目のコース、横浜の根岸からやってきたが生年は不詳。村上は鳴尾のトップアマだったが、直前にプロ転向した。年齢は41,2歳と推測される。出場選手中の最年長である。宮本は23歳のホストプロとして最終組最後にスタートする。

次にコースの概要も掲載しておく。

ホール ヤード パー
250
350
475
515
170
445
380
145
317
3,047 36
ホール ヤード パー
10 125
11 400
12 330
13 550
14 380
15 153
16 325
17 400
18 500
3,163 36

トータル   6,210  72

次項は選手のプロフィールの詳細を記述する。

参考文献 日本ゴルフ60年史

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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