【古賀敬之のゴルフあれこれ】  ゴルフにまつわる〝面白話〟第3弾 皇居内に9ホールのゴルフ場があった


 かつて、皇居内に9ホールのゴルフコースがあった。現在の皇居は、かつて江戸城だった場所に1868(明治元)年に明治天皇が京都御所から移り住んだことから始まり、天皇、皇后は東御苑の西側に位置する吹上御所に住まわれている。江戸時代は尾張、紀伊、水戸の徳川御三家などの大名屋敷が建ち並び、その時代につくられた日本庭園の名残もあった。

 そんな中、1928年(昭和3年)に、昭和天皇と香淳皇后が赤坂離宮から皇居内へ転居され、自然のままにしておきたいという昭和天皇の意向もあって大部分は江戸時代に植えられた樹木をほぼ自然の状態で残していた。しかし、その後、馬場と温室を移設して、その跡地にパー3のホール4ホールから成るゴルフ場が建設されたのだ。完成後、昭和天皇と香淳皇后が休日にゴルフを楽しまれていた。その後、9ホールまで増設されたが、1937年(昭和12年)7月、戦況が悪化して日中戦争の端緒となる盧溝橋事件が勃発したことで、昭和天皇はゴルフを辞められた。

 皇室のスポーツといえば、すぐにテニスが思い浮かぶが、実は、昭和天皇は16歳でコースデビューされている。1917年(大正6年)8月19日付の当時の新聞に「東宮殿下(後の昭和天皇)には18日午前8時、宮の下御用邸御出門、御車にて箱根仙石原村なるゴルフコートに行啓。御学友をお対手にゴルフの御遊戯あり。午後4時、御機嫌麗しく御帰邸成りたり」と、宮ノ下御用邸(現・富士屋ホテル別館菊華荘)から箱根・仙石原のコースに赴き、初ラウンドされた模様が報じられている。また、昭和天皇ばかりではなく、弟の秩父宮、高松宮の3皇子が同じ頃、ゴルフを始められている。

 何故、ゴルフなのか? これには理由があった。というのも、野球やサッカーのように互いにぶつかり合い、ボールが直撃するなどの危険を伴わず、さらに、相手を倒して〝勝ち負けを競う〟ものとは違い、ゴルフは、自ら黙々と技術を習得し、その技量の進捗具合を計りながら達成感を味わうというものであり、さらに、プレー中は精神を安定させることで、物事に動じない精神力を養うことが出来るということで、皇室向き遊戯として適しているとの判断からだった。

 

 ◇古賀 敬之(こが・たかゆき)
1975年、報知新聞社入社。運動部、野球部、出版部などに所属。運動部ではゴルフとウィンタースポーツを中心に取材。マスターズをはじめ男女、シニアの8大メジャーを取材。冬は、日本がノルディック複合の金メダルを獲得したリレハンメル五輪を取材した。出版部では「報知高校野球」「報知グラフ」編集長などを歴任。北海道生まれ、中央大卒。

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