【古賀敬之のゴルフあれこれ】  ゴルフにまつわる〝面白話〟第24弾 キャディーの語源はフランス語


 スコットランドの王だった父・ジェームス5世の後を継いでスコットランド女王となり、フランスで育てられたメアリー・スチュアート(1542~87年)は、その後、16歳でフランス王太子妃になった。しかし、2年後、18歳のときに夫と死別し、結局、スコットランドに帰国した。しかし、帰国したが、手持ち無沙汰。そこで、当時人気スポーツだったゴルフを始めたが、この時、フランスから連れ帰った「カデ(CADET)」と呼ばれる宮廷に仕える貴族の子弟たちにクラブを持たせてラウンドした。
 メアリー女王は美しく、華やかな女性で、常に社交界の中心にいた。さらに、フランス滞在中に洗練され、失意のうちに帰国したものの、母国スコットランドでは注目の的となった。そんな女王が、これまた洗練された少年従者を連れてゴルフに興じる様子は、ゴルファーたちの噂になり、それを真似る人たちも現れた。そこで、ゴルフプレーのサポートをする人、つまり「カデ(cadet)」はスコットランド風に言い換えられて「キャディー(caddie)」と呼ばれるようになり、国中に広まった。
ちなみに、キャディーの生みの親となったメアリー女王が統治していた頃、スコットランドとイングランドは激しい宗教的な対立状態で、それに乗じて支配をもくろむフランスやスペインなど列国の思惑も絡んで、数多くの陰謀が渦巻いていた時代。そんな中、スコットランド女王ながら、イングランド王室の血も受け継ぐメアリーは、革命家たちが担ぎ上げる絶好の〝錦の御旗〟となった。そして、最終的にはメアリーの叔母に当たるイングランド女王のエリザベス一世暗殺計画の罪を着せられ、18年も幽閉された後、1587年2月8日にゴルフ界に「キャディー」という言葉を残し、ピーターバラにあるファザリンゲイ城の大広間で処刑された。

 

 ◇古賀 敬之(こが・たかゆき)
1975年、報知新聞社入社。運動部、野球部、出版部などに所属。運動部ではゴルフとウィンタースポーツを中心に取材。マスターズをはじめ男女、シニアの8大メジャーを取材。冬は、日本がノルディック複合の金メダルを獲得したリレハンメル五輪を取材した。出版部では「報知高校野球」「報知グラフ」編集長などを歴任。北海道生まれ、中央大卒。

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