【古賀敬之のゴルフあれこれ】  ゴルフにまつわる〝面白話〟第23弾 詐欺にホッとしたデ・ビセンゾ


 誤記によってマスターズ・チャンピオンの称号が吹き飛んだアルゼンチンのロベルト・デ・ビセンゾは、もう1つ、心の温まる逸話を残している。
 それは、マスターズの後、米ツアーのあるトーナメントで優勝した時のことだ。大会の表彰式を終えて帰宅するために、駐車場に出たところに若い女性待ち構えていた。そして、悲しそうな表情で「病気で死にそうな赤ちゃんがいるのですが、仕事も無くて病院に連れて行くお金がない…」と訴えたのだ。
 そして、そんな窮状を聞いたデ・ビセンゾは、たった今、受け取ったばかりの小切手にサインをし「この金で赤ちゃんを病院に連れて行って救ってほしい」と手渡した。女性は涙を流しながら礼を言い、一目散、駐車場を去って行った。
 しかし、翌週になってゴルフ場にいたデ・ビセンゾのもとに米プロゴルフ協会の役員が訪れ、「詐欺で捕まった女がアナタからもお金を騙(だま)し取ったと白状した」と告げた。その女性は独身であり、病気で死にそうな赤ん坊などいなかった。ただ、優勝して高額賞金を手にしたチャンピオンのデ・ビセンゾを意識的に狙った詐欺だった。詐欺のターゲットにされたデ・ビセンゾは伝えにきた役員に再確認した。「本当に病気の赤ちゃんはいなかったんだね?」と。その役員はその質問に残念そうにうなずくしかなかった。しかし、デ・ビセンゾは、詐欺にだまされたことに対して怒るどころか、逆にホッとした表情を見せ「そうか…。病気で死にかけている赤ちゃんはいなかったんだ…。それは今週受けた中で一番の良い知らせだ」と喜んだという。この心温まるエピソードは、アルゼンチンの英雄を讃えるため、今も語り継がれている。
 デ・ビセンゾは1923年、アルゼンチン生まれ。1967年に全英オープンで南米選手としては初のメジャーチャンピオンとなるなど、世界各地で合計200勝以上挙げた伝説上の人物として知られている。
1989年にゴルフ殿堂入りした。そして、弟子のアンヘル・カブレラは2009年、米国勢をプレーオフで下し、マスターズ初優勝。アルゼンチンに初めてグリーン・ジャケットをもたらした。

 

 ◇古賀 敬之(こが・たかゆき)
1975年、報知新聞社入社。運動部、野球部、出版部などに所属。運動部ではゴルフとウィンタースポーツを中心に取材。マスターズをはじめ男女、シニアの8大メジャーを取材。冬は、日本がノルディック複合の金メダルを獲得したリレハンメル五輪を取材した。出版部では「報知高校野球」「報知グラフ」編集長などを歴任。北海道生まれ、中央大卒。

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