杉浦悠太が史上7人目アマV 直後インタビューでプロ転向宣言 2週間後には日本S「出るからには優勝」


日大カラーのピンクのシャツと帽子をかぶり優勝トロフィーを掲げるアマチュアの杉浦悠太(カメラ・渡辺 了文)

日大カラーのピンクのシャツと帽子をかぶり優勝トロフィーを掲げるアマチュアの杉浦悠太(カメラ・渡辺 了文)

◆男子プロゴルフツアー ダンロップフェニックス 最終日(19日、宮崎・フェニックスCC=7042ヤード、パー71)

 日大4年の22歳、杉浦悠太が、2位に3打差をつけてツアー史上7人目のアマチュア優勝を果たした。4打差の単独首位から出て4バーディー、2ボギー、1ダブルボギーの71で回り、通算12アンダーで松山英樹(31)=LEXUS=ら強豪プロを抑えて逃げ切りV。1973年のツアー制施行後のアマ制覇で倉本昌弘、石川遼、松山らに肩を並べた。今季最終戦のメジャー、2週後の日本シリーズJTカップ(30日開幕=東京よみうりCC、報知新聞社主催)の出場権も獲得。優勝直後にはプロ転向を宣言した。

 1メートルのウィニングパットを沈めると、杉浦は両手を突き上げて天を仰いだ。4打差のリードを生かし、松山、ケプカらビッグネームを抑えての栄冠だ。「メジャーを勝っている選手がいる中での優勝。本当にうれしい」。21年にアマVを達成している同組の中島啓太(23)に「優勝、おめでとう!」と熱い抱擁で祝福され、感無量だ。第50回を迎えた伝統大会で、チェック柄のチャンピオンブレザーを羽織り、喜びに浸った。

 「朝ご飯がなかなか喉を通らなかった」という重圧の中でのスタート。1番のティーショットをいきなり左の林に打ち込んでボギー発進。重苦しい空気に「緊張が止まらなかった」と流れに乗れず、11番のパー3で大ピンチに。1打目を左奥に打ち込み、4オン1パットのダブルボギーで一気に落とすと、12番では3パットのボギー。後続に差を詰められたが心は折れなかった。16番の残り100ヤードをピン左1メートルにつけ、震えそうな手でバーディーパットもねじ込み、快挙を大きく引き寄せた。

 第3ラウンドからは、父・博倫(ひろみち)さん(49)が応援に駆けつけた。小学校6年間は野球との二刀流。「けが(の予防)だったり、体を作るにはいろんなスポーツをやった方がいい」と父の思いで投手や中堅を務めた。自宅の庭に打撃ケージを設置するなど、家族が献身的にサポート。ナイター設備をつけ、夜遅くまでの練習も可能にし、腕を磨いた。

 並み居る強敵を退け、栄光に浸った優勝インタビューで今後の進路を聞かれると「プロ宣言します」と言い切った。「ギャラリーの数がすごい。応援してくれる方が多い選手になりたい」とプロになるきっかけとなった、憧れの石川遼(32)と同じ道を描いた。

 優勝したことで2季後までのシードを獲得し、ツアーメンバーの登録も済ませた。プロデビュー戦になる次週のカシオワールドオープン(23日開幕・高知)へは「せっかく出るからには勝ちたい」と杉浦。王者の中の王者を決める2週後の日本シリーズJTカップの出場も決め、「憧れていた試合。出られることがうれしい。出るからには優勝を目指したい」と野望も燃やした。メジャーの同大会では81年に羽川豊が記録した、23歳363日の大会最年少優勝の更新にも期待がかかる。将来の夢を「海外でプレーしたい」と掲げる超新星が現れた。(富張 萌黄)

 ◆杉浦 悠太(すぎうら・ゆうた)アラカルト

 ▽生まれ、サイズ 2001年9月12日、愛知・高浜市生まれ。22歳。172センチ、74キロ

 ▽趣味 野球観戦。中日ドラゴンズのファン

 ▽ゴルフ歴 4歳の頃、父の影響で始める。強豪の福井工大福井高で腕を磨き、18年の日本ジュニアなどで優勝。19年、アマチュア日本代表に初選出。20年、日大国際関係学部に入学。今年9月、下部ツアーで史上8人目のアマチュア優勝を達成。得意クラブはウェッジ。ドライバーの平均飛距離は290ヤード。

 ▽好物 焼き肉。大会2日目には宮崎牛を堪能

 ▽休日 寮に帰った際は、友人と映画観賞やテレビゲームをして過ごす

 ▽家族 両親と妹

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