ゴルフジャーナリストの岩田禎夫さんが亡くなった。10月26日、午後3時5分、入院先の鎌倉市の病院だった。83歳だった。
1933年生まれ。神奈川県鎌倉市出身、上智大卒、報知新聞社を経てゴルフジャーナリストとしてテレビ解説、新聞、雑誌のコラムニストとして活躍。米、欧州ツアー取材のパイオニア。その取材功績により2006年、ジャック・ニクラウスの主催する「メモリアルトーナメント」ジャーナリスト賞受賞。2011年にはマスターズ委員会からも表彰された。
毎年、必ずお会いする日本ツアーの最終戦ゴルフ日本シリーズで昨年末はついにお会いできなかった。足がおぼつかない、と連絡はもっぱらメール。今年9月16日のメールでのやりとりが最後になった。戦後、アメリカにゴルフ留学した橘田規プロに関して教えを乞うメールを打つと、的確なデータが返ってきた。その数日後、今度は岩田さんから、「1960年日本オープンの陳清波のスコア誤記についての詳細を知りたい」と問い合わせ。広野の日本オープンは首位でホールアウトしながらスコア誤記で失格となった“陳さんの失敗”で知られる。優勝は小針春芳という那須の名物プロだったが、繰り上げ優勝をクラブハウスの風呂で聞いてびっくりした。スコア誤記の原因を作ったマーカーの小野光一とふたり、裸で慌てふためいたというエピソードもあり、「これは面白い」と岩田さんがいい、大いに盛り上がった。
だが、その数日後の25日、アーノルド・パーマーが87歳で死去した。パーマーのことを知りたく、取り込んでいたので“ダメ元”で携帯を入れたが、返事はなかった。岩田さんの電話嫌いはゴルフ界では伝説だったが、こちらの非礼を悔いたが遅かった。岩田さんは喪に打ちひしがれていたはずだ。
パーマーは岩田さんのアイドルだ。「米PGAツアーは1961年に創立され組織が大きくなり69年にツアー部門が独立し今のPGAツアーとビジネス、ティーチングを運営するPGAオブ・アメリカに別れて現在に至ります。ツアーは当初は出血サービス。儲からず、協会としては悪戦苦闘していた。そこへ出てきたのがパーマーです。61年プロ転向するとパーマーチャージの攻撃ゴルフでスターへ。自家用機を駆使して全米中を飛び回りツアーを今の姿に変えた。日本ゴルフ界の受けた恩恵も計り知れない。世界中のゴルファーはパーマーに足を向けて寝ていられないのです」パーマーを語ると口調は突然、熱を帯びた。
報知新聞社時代の岩田さんは名物記者だった。プロ野球のスーパースター長嶋茂雄と亜希子さんの間を取りもった。“キューピット”となりそれがきっかけでふたりは結婚。そのニュースは特ダネになったことはあまり知られていない。
1964年の東京五輪では英語力を買われ選手村担当。そこで二人のきっかけをつくり結婚までのおぜん立てをしている。そのころ駆け出し記者だった筆者、目をかけてもらった。出張で一睡もしないでゴルフ談義をした。銀座を歩いていると「イワタ!」黄色い声が呼びかけると店に連れ込まれた岩田さんはそれっきり姿を現さず行方不明となって戸惑った。
「マウピティ」号。タヒチにあるキュートな島の名前が気に入り、艇名にしたというヨットマン。ゴルフよりヨットが“本業”のスポーツマンで仲間には湘南高校時代の同窓生、石原慎太郎氏。石原さんとは「お前」「おれ」の間柄だ。いつだったかのマスターズに作家としてやってきた石原さんと岩田さんがオーガスタナショナルのコースで立ち話したとき偶然、そばにいたことがあった。二人の間では「向こうで会おう」ということになっていたのがそこでばったり会った。興味深い出会いは、本当に面白かった。あの石原さんと「バカいうなよ」「バカはおまえの方だろ」と体をぶつけあうようにやりあう姿は迫力があった。帰国後、石原さんのルポは雑誌で興味深く読んだ。尾崎将司が身を縮めるように遠慮してプレーしている、あれじゃ勝てない、と喝破するのを読んだが、アメリカツアーと対等にやりあっていこうという二人のおじさんのタフさを覗けた気がした。頼もしい男を感じさせる二人の共通点は、岩田さんの普段の姿勢と合致していた。
1977年の「プレジデンツカップ」を二人だけで取材したことがあった。豪州のメルボルンの宿に着くと「町を一回りしようか」と車中に。そして町中をゆっくり走った。やがて下町に着くと岩田さんは「中華があそこにあるな、日本食はここだ、イタリアンは…」とレストラン探し。さらにコインランドリーと酒屋を見つけるといった。「これだけ調べておけば生活に不自由はない、安心して生きていけるわけだ」海外取材の知恵。岩田流のノウハウ、驚きのリサーチだった。
トーナメント開催の週、そこは日本からやってくる日本人記者たちのパブリックエリアとなった。レストランは岩田さんの外国人記者仲間のサロンと化すのだった。世界を渡り歩くたくましいジャーナリストの一面。何より他人をおもんばかった大きさを垣間見て元気をもらった。
いま、教わる人のいなくなった心細さに身が小さく感じる。つらく、さみしい。