ミキティーは早く泳いだ 武藤のコラム ―ハンデキャップのスポーツゴルフは五輪の花形種目となる―


 女性に出世頭というのもはばかられるが、2014年シーズン女子ツアーの酒井美紀ちゃんは僕の中では一番出世したゴルファーだ。6月に千葉・カメリアヒルズCCで行われた「アース・モンダミンカップ」で初優勝すると9月、宮城・利府GCでの「宮城テレビ杯ダンロップ女子オープン」で2勝目をあげ、賞金ランキング6位でシーズンを終えた。ランキング上位を韓国のアンソンジュ、イボミや台湾のテレサ・ルーに4位まで独占された日本勢にあっては5位の成田美寿々に次いで2番手の大出世であった。

 実は高校生の頃から何かとご縁があった。ジュニアのトップアマだった07年、日本女子アマ選手権決勝で綾田紘子に惜敗した。当時、僕はJGAの広報参与という形で大会を取材、ゴルフ専門テレビ・ゴルフネットワークで解説者も務めた。試合は法政大学の綾田を高校生が苦しめる好ゲームとなったが、いかんせん酒井のパットがもったいなかった。大切な1メートル前後を何回も外すのだ。そこで「パットさえ入っていれば」「もっとショートパットがうまければ」と言っているうちに「酒井はパットがへたで」と言ったらしい。そのことを忘れていたころお父さんの正孝さんに会うと「テレビで武藤さんにパットが下手だと言われ、こたえたのでしょう。あれから練習するようになりました。ありがとうございます」と頭を下げられ、冷や汗をかいたものだ。

 酒井家は福島県・いわき市でゴルフ練習場を経営する。お姉ちゃんの美香さんがキャディーを務めるが、かつてはプロを目指した。しかし、交通事故で妹のサポートにまわった。おつきあいをかさねるうちにお父さんの人となりに共鳴することが多くなった。そのひとつに、使わなくなったクラブを子供用に短く作り変え、子供たちに配った地道な活動にはそのアイデアと慈善心に感銘を受けた。「はいクラブをあげます、ゴルフやりませんか!と電信柱に張り紙をしました。練習場の経営も苦しいしジュニアもお金がかかるし、このままではゴルフを誰もできなくなっちゃうと大変だと思ったからです」正孝さんはこともなげ。でもゴルフ普及と唱えるだけの人ばかりの中、できないことだ。この親子は何かある、と思った。

 日本アマの準優勝で美紀ちゃんは日本のナショナルチーム入りをはたし、大きな体とおっとりした性格から「ミキティー」と呼ばれた。だが、苦労は絶えなかった。50メートル走など瞬発力や筋力アップのトレーニングについていけないミキティーだった。チームメイトたちが、次々と海外遠征する中、代表に選ばれることはついになし。だが、2010年、美紀ちゃんは日本女子アマに優勝、その直後のプロテストで一発合格、自力で人生を切り開いた。

2011年の東日本大震災で練習場が壊れ周辺のコースが閉鎖とゴルフどころではなくなった。いまだ仮設住まいを強いられる周辺を見ればゴルフどころではない日常。試練は続くが、もう大丈夫だ。

美紀ちゃんは生来のおっとり型だ。大好きな嵐ファンで生活そのものである。年寄りの武藤さんは、嵐という名のタレントが好きなのだと思っていたら5人のグループで1番ウッドは相場君、3番は桜井君、という風にクラブにそれぞれ名前がつけてあるというからもうおとぎ話の世界だ。2016年、ゴルフは5輪種目に復活する。2020年は2回目の東京五輪である。大きな体の利点を生かし、欠点をおぎなって美紀ちゃんには五輪の代表を目指してほしいものだ。ゴルフはだれもがハンデを持つおかしなスポーツである。その代表として五輪の代表になってほしいとおじいさんは励まし続けたい。

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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