みんなゴルフをやりたいんだ ―中年の☆田村尚之に思う 武藤のコラム


 中年の星が戻ってきた。田村尚之。元ナショナルチームの常連メンバー。日本ミッドアマ選手権2連勝。94年の日本オープン・ローアマ。日本アマ選手権には17年連続出場、アマ界では誰知らぬもののいない伝説のトップアマチュア。
その田村が49歳の昨年、プロ入りした時は正直驚いた。だが、50歳になった今年、日本のツアーで大活躍を始めるのを見ると、そうだったのか、と納得した。田村はゴルフをやりたかったのだ、夢を追い夢に向かって挑戦をはじめている、と。

 広島県出身。中四国ジュニアで谷原秀人を破り優勝。が、両親は「勉学とゴルフの両立」を課した。進学校に進み、一浪して東京理科大へ。ゴルフでは奨学生として引く手あまたも自力で人生を切り開く。地元のトップ企業マツダに就職、サラリーマンゴルファーは有給休暇を取って競技に出た。40歳過ぎ「もう少しゴルフにやりたくて」妻の実家の家業に転じる。たが、サンデーゴルファーに変わりなかった。
「50になったら仕事を辞めゴルフをしよう。このままでは人生悔いが残ると思った。家族も応援してくれている」晴れてプロ転向は田村第2の人生だ。
 いい話だ。こんな前例がある。米PGAツアーの元コミッショナー、ディーン・ビーマンは全米、全英両アマチュアのチャンピオンだったが、大学卒業後、保険会社に入った。だが、29歳でプロ入り6年間でツアー4勝を挙げる。35歳の時PGAツアーのコミッショナーに要請される。プレーヤーとビジネスマンのキヤリアを買われたのだが、はじめ断った。プレーヤーとしてもっと勝てる、俺はもっとやれる、と思ったのだ。だが、コミッショナーに就任し数々の改革を行った。PGAツアー今日の隆盛はビーマンが果たした功績と誰もが認める。そのビーマンがコミッショナーを辞めプレーヤーに戻ったのは55歳の時だ。「俺はもうすぐ56歳になる。シニアツアーでプレーするならできるだけ早く準備する必要がある」(「苦悩の散歩道」小池書院)と。ツアーでは94年まで参戦、05年までに69戦に出場した。
 田村の背をビーマンが押している。男の夢は幼稚で唐突、危なっかしく見える。だが、14年シーズン、田村はいい感じだ。
 アダム・スコットの参戦で盛り上った先の日本オープンでは中国地区予選を突破、千葉CCの本戦に出場すると予選をクリア、最終日にはスコットと同組でまわり56位、初めて賞金を手にすると11月、日本シニアオープンでは優勝を争い4位と健闘した。うん、思ったよりいいペース、である。

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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