【古賀敬之のゴルフあれこれ】  ゴルフにまつわる〝面白話〟第5弾 クラブ制限は「13本」になるところだった


 現在のゴルフ規則では1ラウンドで使える「クラブの本数は14本以内」と決まっている。だから、例え、使っても使わなくてもキャディーバッグに15本以上入っていればルール違反となる。プロの試合でも本数オーバーでペナルティを課せられるというケースがたびたびあった。スタート前練習で試し打ちしたクラブを忘れてしまい、そのまま持ち込むというのが多かった。

 かつて、クラブなど何本持ち込もうと、使おうと自由だった。ゴルファーの中には、お金持ちも多く、リヤカーを改造した手押し車に乗せ切れないほどの本数を持ち込むプレーヤーもあった。当然、重い。1859年に全英アマに出場したジラードという選手などは2台のリヤカーに樽を載せ、その中に55本ものクラブを入れて試合に臨んだという。運ぶのにいと苦労。そして、55本もあるのでクラブ選択にも時間がかかった。1935年に全英アマと全米アマの連覇を達成したローソン・リトルは31本も使用したそうだ。そこで、増加傾向にあったクラブの本数に悲鳴を上げたスコットランドのキャディーたちは、自ら組織した労働組合を通じて「全英ゴルフ協会(通称・R&A=ロイヤル・アンド・エインシェント)」に改善を求めた。これが本数制限の発端となった。

 これを受けたR&Aは1ラウンドで使用する「クラブ本数の上限」の検討に入り、有名プレーヤーをはじめ、キャディーたちを徹底リサーチ。協議を重ねた結果、パターを含めて「13本」という答えを導き出した。これは、1ダース(12本)のクラブにパター1本を加えた数字。そこで、R&A理事会は「13本」ということで採決を試みた。ところが、中の1人の理事が敬虔なクリスチャンだったのか「13は忌み嫌われる数字。ゴルファーはとかく縁起を担ぐケースが多い。どうせなら1本増やしてはどうか?」と提案。ハタと思い当たった他の理事たちも、これに賛同し「14本」に決まったそうだ。

 ちなみに、本数制限は、キャディーの労働組合の申し出がきっかけだったが、しかし、その裏にはR&Aの思惑も働いていた。1930年(昭和5年)にボビー・ジョーンズ(米国)が全英アマ、全英オープンなどを制覇してグランドスラムを達成。そして、その4年後の1934年には全英アマで、初参加の米国選手のローソン・リトルが、英国のトップアマ、ジェームス・ウォーレスを14―13の大差で破り、優勝したのだ。この時、リトルはウッド5本、アイアン18本の計23本を使っていた。ジョーンズは18本だったが、当時の米国ではジーン・サラセンが24本も使っていたように、プロやトップアマは23~27本のクラブを使っていた。一方の英国では10本程度。そこで、R&Aは、米国勢の躍進に関して、用具に関する不公平さを是正するために本数制限に踏み切ったようだ。

 

 ◇古賀 敬之(こが・たかゆき)
1975年、報知新聞社入社。運動部、野球部、出版部などに所属。運動部ではゴルフとウィンタースポーツを中心に取材。マスターズをはじめ男女、シニアの8大メジャーを取材。冬は、日本がノルディック複合の金メダルを獲得したリレハンメル五輪を取材した。出版部では「報知高校野球」「報知グラフ」編集長などを歴任。北海道生まれ、中央大卒。

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