ドラマいっぱいの「meijiカップ」 西山かおりの勝者なき戦い 武藤のコラム


 勝者が誰なのか? はっきりしないところが面白かった。

 プロ8年目の西山ゆかり(33)が女子プロツアー「meijiカップ」(札幌国際CC島松コース)でプレーオフの末、初優勝を飾った。

 昨年来、指導を受けているベテラン・芹沢信雄プロ(55)がバッグを担いでの参戦。現在、売り出し中の鈴木愛とプレーオフで争った。3位には賞金女王目前のイ・ボミ。さらに米ツアーのメジャーチャンピオン、中国のフォン・シャンシャンがつけ、他に申ジエ、アン・ソンジュ、テレサ・ルーといったいずれも格上のプレーヤーがトップ10にひしめく大激戦を制した。すべてをひとまとめにした西山の優勝。これを奇跡という。だれが見ても“よく勝てたなあ”と目を見張る大番狂わせだった。

 プレーオフの2ホール目、6メートルのバーディーパットを決めた西山の目の前で鈴木が2メートルを外し決着がついた。拝むように握手する西山、笑顔の芹沢。

 そのパットの前、「私どうしても勝ちたい」と西山が言うと”待ってました”とばかりに芹沢は背中を押した。「その気持ちが大事。バーディーを取れ!」間髪を入れずハッパをかけるのだった。阿吽(あうん)の呼吸とはこのことだ。「はい!」とこたえる西山はバーディーパットを決めた。ドラマチックすぎてあっけない初優勝に西山に涙はなかった。

 静岡・御殿場に拠点を置く芹沢軍団。藤田寛之、宮本勝昌と3人の結束は、ここ2年、西山はじめ木戸愛、渡辺彩香ら女子プロが加わって様変わりしていた。

 一昨年末のことだ。芹沢は「今度、女子プロを見てみようと思っている。可能性を秘めて面白いんです」-ジュニア教室やアマのスクールを地元で開催する芹沢のところに女子プロが顔を見せるようになって軍団は変貌した。「それじゃあ、富士山軍団だね」世界遺産となった富士山ブームに引っかけてそういうと「富士山軍団ね、世界的選手が育ちそうないい名前だ」と言って笑った。

 箱根を隔てた藤沢市在住の西山が合宿に参加して1年半。芹沢マジックの効果は抜群でプロ7年目の昨年、初めてシード入りした。富士山軍団の総帥はきびきびした歯切れのいいプレーがセールスポイント。テレビ番組を持つなど一見派手そうに見えるが、根はプロに徹した前向き人間だ。

 一番弟子の藤田が明かした。「あるトーナメントでのこと。宿舎の旅館に帰ると物干し台の上でドタン、バタンとすごい音がするので、そっと見上げると芹沢さんが筋トレをしていた。今日は疲れたので先に帰るよ-と言っていたので、寝ているのか、と思ったら鬼の形相で(筋トレを)やっていた。いつも適切なアドバイスをもらって感謝していたが、こういう背景があったのか、と頭が下がった」。これは師匠にはいっていない。何故なら「そんなことを知らなかった自分が恥ずかしいから」と藤田。そんなところに軍団の強さが垣間見える。

 

 大会の最終日に戻る。西山は17番で1メートルを外すボギーで8アンダー。この時点で先にホールアウトした鈴木愛と同スコアで並んだが、最終ホールの5メートルのバーディーパットが入らず、プレーオフにもつれ込んだ。“大詰め”でのボギーとチャンス逃し。そんな状況が、もし初優勝を狙うベテランの場合だったら取り返しのつかないミスとなるはずだった。それだけに、“西山の優勝はないな”と誰もが思っただろう。それが通常のトーナメントの顛末(てんまつ)というものだ。 だが、プレーオフの2ホール目で西山は6メートルのバーディーパットを決めて勝った。

 「勝ちたいです」と西山が火を吐くように叫んだ、その勝ちたい一心こそが、勝者であるような気がする。

 「勝ちたい」と叫ぶ弟子に“待ってました”とばかりに、はっぱをかけた芹沢。そこには勝利への執念の一致が見えた。

 そして、さらにあえて言うなら今大会の勝者は日本女子ツアーだろう。韓国勢にたじたじとなって大ピンチのツアーは西山のおかげで面目を保てた。ここにも執着心がのぞいてこの後のツアーが楽しみになってきた。

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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