時代の対応を迫られるマスターズ 武藤一彦のコラム


 松山英樹のマスターズ2連覇の夢は砕けたが、楽しかった。男子メジャー初戦、マスターズトーナメントは11日、ジョージア州、オーガスタナショナルGCで最終日、史上4人目の大会2連覇に挑んだ松山英樹は5バーディー、5ボギーの72,通算2オーバーの14位に終わった。優勝争いは第2日から首位を走るスコッティ・シェフラー(米)が、最終日、1アンダー71とただ一人、2ケタアンダーの10アンダー。マキロイ(英)が64のベストスコアで追い上げたのが精いっぱい、3打差をつけメジャー初優勝を飾った。右足の重傷から1年5か月ぶりにツアー復帰した、46歳のタイガー・ウッズは13オーバーの47位、大会史上最多の22回連続予選突破記録をのばした。

 

 3月、首回りを痛め、前週は途中棄権して臨んだ松山はアプローチとパットでスコアを作り第2日を終え、2位で決勝ラウンドへ。主役が好スタートを切り、盛り上がった。だが、決勝ラウンドに入りパットが乱れボギーが増える。注目のタイガーにも見られたように、完全でない体調への不安、試合勘のずれはいなめなかった。「チャンスをものにできず、ピンチをしのげなかった。パッティング以外、いいところなしで、スイマセン」と我慢のゴルフに徹するしかなかった。結果は14位。だが、デフェンディングチャンピオンとして最悪の状態で臨んだ大会は随所に見どころがあった。実力がついてきた証拠だろう。30歳、肩ひじの力が抜けたゴルフに新しい発見があった。これからに期待が持てそうだ。

 

 新しいスターが誕生した。
 優勝したシェフラーは2月のフェニックスオープンでプロ初優勝を果たすと、3月のアーノルド・パーマー招待、WGCデルテクノロジーズ・マッチプレーにも優勝し、わずか42日間で一気にワールドランキング首位にかけ上った。
 ドライバ―は300ヤードを越すフェードヒッター。フックを打ちたいときは迷わずスプーンを使い、さらに勝負所で打つ気合の入ったロングアイアンはゆうに250ヤードをたたき出すショットメーカーだ。25歳はベテランの域にいた。28歳、スミス(豪)との最終組のせめぎあいは12番ショートホール、スミスが池に入れ6を叩き自滅するが、我慢強く相手のやる気を焦りに変えるシェファーにはそんな重圧感があるのだろう。大物感いっぱいである。
 かつてオーガスタはドローヒッター有利といわれたが、昨年の松山優勝のあたりからマスターズは新時代に入ったとみていたが、大きな曲がり角に来ている。あくまで推測だがこんな推理をしている。
 シェフラーの優勝スコア10アンダーは昨年の松山と同じスコアだが、歴史は何を訴えようとしているのだろうか。偶然ではない。今回コースは全く昨年と様相を変えていながらこの現象である。オーガスタの大小改造は毎年のことだが、今年、名物15番パー5はティーイングエリアを20ヤード後ろに下げ、その結果、イーグル数が減った。昨年大会を思い起こしてほしい。松山は最終日、この15番ロングの2打目を4アイアンで2オン狙い、ところがオーバーして奥の16番パー3ホールの池に放り込んだのであった。これで1934年の創設以来、アルバトロスも出た歴史が売りの有名な2オンホールは、そんな時代にピリオドを打った。だが、優勝スコアは10アンダーと今年もぴったり同スコア。その前年のダスティン・ジョンソンは20アンダーだった。ゴルフは圧倒的な飛ばす時代に入った。オーガスタはそんな時代にピリオドを打とうと躍起になるが、勢いについていけず頭の痛いことだ、と早くも来年の大会を楽しみにしている。

 

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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