古江彩佳連続2位 武藤一彦のコラム


 古江彩佳の米ツアー2勝目はならなかった。
 米女子ツアー「バンク・オブ・ホープLPGAマッチプレー選手権」は28日、米ネバダ州ラスベガスのシャドークリークGCの最終日、古江は昨年に次いで2年連続決勝戦に進出する大活躍。試合はタイのパジャレー・アナンナルカーンに3&1と惜敗したが、その存在感でチャンピオンをも圧倒して迫力があった。

 

 24日から5日間にわたって開催し、ツアー唯一のマッチプレーによる大会。古江は米初挑戦の昨年、決勝戦に進出、韓国のキム・イジョンに敗れたものの、その自信が夏の米LPGAツアーの英国開催「スコットランドオープン」初優勝へとつなげた。今回、次々と勝ち星を加える快進撃はたくましく、コースの隅々を知り尽くしたものの自信に満ちあふれたプレーぶりは、前回のリベンジに意欲を感じさせた。153センチの小さな体ながら安定した大きなゴルフはラスベガスのゴルフファンを魅了した。

 

 米女子ツアー参戦2年目の古江に対し3年目のアナンナルカーンは165センチの強打者、タイといえばタイガーウッズの母親マチルダさんの国。タイガーの強さは、その柔軟性がパワーを倍増させるエネルギーであるという人もいる。アナンナルカーンはアマ時代その強打で6勝、うちプロとのオープン競技でも完勝しているという。ともに2000年生まれの23歳、同い年のアジア人因縁の対決は、あらゆる状況が古江に傾いていた。だが、“勝負はみずもの”というが、やっぱり運に左右されやすく、あてにならなかった。

 

 古江が2番で1アップと好スタートを切るが、13番を終わって1ダウンと一進一退。そのあとの14番、パー4。試合を決定づける出来事があった。194ヤードをピンまで10メートル余にオンした古江のナイスショットの直後だった。その30ヤード先から打ったライバルのアナンナルカーンのショットはピン手間に落ちピンをオーバーしたボールが、受けグリーンの強い傾斜でUターン、コロコロコロとゆっくり8メートルを転がり、ピン1メートルにつく“ラッキーバーディー”となったのだ。
 逃げる者にはラッキー、追う古江にはアンラッキーはあきらかだった。もし、このホールがパー、パーで分けだと1ダウンで古江は4ホールあれば逆転の可能性もあった。この5日間、すべて後半に逆転勝ちしここまで来た古江だったからだ。だが、2ダウンとなると話は違った。15番は分け、昨年、敗戦が決まった16番では、入れれば1ポイント差に詰められた5メートルのバーディーパットは入らず分け、2ホールで2ダウンのまま。そのためついに17番、ドーミーホール(勝敗の決まるホール)2打目をバンカーに入れ、1ホール残して3ダウン、3&1で敗退となった。
 「2年連続で決勝に勝てず悔しいけれどいいゴルフをやれて、粘れば結果が出るということを学ぶことができいい経験となった。今後に向けプラスになると思います」悔しさをかみしめながら淡々と語った。逆転すればこの日、現地は5月28日、古江は5月27日生まれ、最終日は古江24歳になっていた。となると既述の23歳対決はなかったことになる?が、そんなことはどうでもいいことだ。
 だがハッキリしていることは、樋口久子、岡本綾子、小林浩美、宮里藍、、、米LPGAツアーで生まれた日本人チャンピオンは古江も入れて9人いるが、マッチプレーで2年連続、計14戦、全試合完走したのは世界広しと言え古江だけである。さらに、153センチの小兵ながらアマでプロツアーに勝ち日本ツアーに7勝、その実績を元にいま世界が舞台。そして、2年連続2位である。これは何を意味するかといえば、ある意味金字塔である。古江のすごさが2位で輝く逸材が今後、どんな形で開花するか楽しみである。

 

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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