稲見の銀メダル、日本ゴルフの世界制覇の足音が聞こえる 武藤一彦のコラム


 五輪女子ゴルフの最終ラウンドは7日、埼玉・霞ヶ関CC東コース(6448ヤード、パー71)で行われ稲見萌寧(22)が日本ゴルフ史上初となる銀メダルを獲得した。5打差3位スタートの稲見は65、通算16アンダー、17アンダーのネリー・コルダ(米)に1打及ばず2位も、同スコアのリディア・コー(ニュージーランド)との2,3位決定プレーオフを制し男女を通じ、日本ゴルフ界初のメダリストの殊勲を上げた。

 

 銀メダルか、銅になるか。18番プレーオフ。稲見はフェアウェーからピンまで10メートルに乗せたのに対しコーはティーショットを右バンカーに入れ脱出するだけのボギー。稲見は手堅くパーで上がり銀メダルに輝いた。
 最終ラウンドは17番まで9バーディー、2ボギーの17アンダーで首位のコルダと並んでいたが、最終18番の2打目をグリーン手前バンカーに入れ、“目玉”となるボギーでコルダに金を譲った。だが、プレーオフは全く危なげなかった。18歳から20歳まで世界ランキングトップのコーは、米女子ツアー通算16勝、内メジャー2勝、リオ五輪の銀メダリストだが、全くよせつけなかった。
 「日の丸を背負って戦えるうれしさがまさっていたみたい。重大な任務を果たそうと思ったらプレッシャーもなくなった。それにわたし、プレーオフは勝率100%、やるぞ、と行けましたね」物おじって何?といわんばかり、ここは女性にふさわしくない賛辞だが、堂々たる勝ちっぷり、ということにする。
 五輪出場権をかけた国内ツアー。五輪出場権争いは渋野日向子にほぼ決まっていた大勢を、国内ツアー3勝をいずれもプレーオフ勝ちの勝負強さ、世界ランク22位で逆転した。コロナ禍で五輪開催が1年延期となったことも幸いした。そうした上り調子の機運をしっかりと受け止めてしたたかな22歳は大舞台を堂々と飾ってこの先が楽しみだ。
 畑岡奈紗と笹生優花も10アンダーの9位と健闘した。19年全英オープンに優勝した渋野をきっかけに今年の全米オープンは笹生、畑岡がプレーオフで1,2位。そう、マスターズ優勝の松山の快挙もある。そしていま、世界を垣間見始めたばかりの稲見の登場だ。日本ゴルフは本格的に世界の主流を謳歌し始めた。

 

 1957年、霞ヶ関CC東コースで開催された第5回カナダカップで、中村寅吉、小野光一組が団体で優勝、個人も中村が優勝。日本テレビが初のテレビ中継し日本は第一次ゴルフブームとなった。あれから65年。稲見が銀メダルを初めて日本にもたらした。日本の世界制覇への本格始動への心地よい第一歩と受け止めている。

 

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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