石川遼のKBCオーガスタ優勝を見てオリンピックのくやしさがよみがえった 武藤のコラム


 腰痛で休んでいた石川遼(24)=カシオ=が「RIZAP・KBCオーガスタ」で圧勝した。2位に5打差は初日から首位を走る完全優勝。腰痛を発症し米ツアーを半年も休んだピンチだったが、存在感を見せた。さすがだ。

 

 猛暑と高麗芝そして豪雨中断。病み上がりには厳しい状況だったが、一人、高原の涼風の中でプレーしているような清涼感があった。

 

 アプローチにびっくりだ。試合勘の欠如は精神的にも響き40、50ヤードの難しい距離が残ったが、グリーン周りからことごとく寄せた。その距離感、ボールの転がりはベントの高速を思わせるスムースさ。そう、高麗芝のグリーンとは思えなかった。

 

 だから高麗グリーンのパットにも驚きのタッチを見せた。まるでオーガスタの鏡のグリーンを滑るようなボールの転がりだった。長い休養期は無駄ではなかったのだろう。本来の卓越したセンスがリフレッシュされ、よみがえった。

 

 疲れ切っていたのだろう。15歳でプロを押しのけて優勝。プロ入り2年目の09年、史上最年少賞金王。10年には「中日クラウンズ」最終日に世界ツアー史上最少スコア58の前人未踏記録達成。

 

 それで話は飛ぶが、3週前の米ツアー「トラベラーズチャンピオンシップ」で46歳のジム・フューリックが58を出したときも、思い出すのは、遼クンの中日クラウンズの快挙ばかり。46歳のジムおじさんは、むろん、尊敬にあたいするが、応援団長としては、遼の偉大さに感嘆するばかりだ。

 

 それだけにここ1年の不振には心が痛む。

 

 世界を体験するたびに課題が増えたのだろう。比例して練習量が増えた。気になったのは練習場でヘッドスピード測定のタブレットを球の前におき、ドライバーをマン振りしたことだ。飛距離がほしい、たくましくなりたい。問えば「もっと強くなりたい」熱に浮かされるように繰り返しドライバーを打ち続けた。腰はついに悲鳴を上げ、今季の長期休養である。

 

 腰痛は大きな代償となった。残念でならない。何をって? オリンピックです。石川の腰痛は日本の夢を打ち砕いた。金とか銀ではない。リオオリンピックは五輪に復活した再生ゴルフの晴れ舞台。あそこに遼、そして松山英樹(24)=LEXUS=がいなかったことが残念なのだ。特に石川遼。

 

 オリンピックこそ、彼の居場所だった。意外性の塊だ、自己顕示欲は人一倍、いや、数十倍。ここでこうやれば俺はハッピー、みんなも喜ぶ、そんな雰囲気を察知するととてつもないエネルギーをほとばしる。それが彼の身上。いや、もういうまい。リオオリンピックこそ一世一代のチャンスだった。遼が犯した、唯一のミス、といつまでも悔いる。

 

 KBCオーガスタは自己14勝目。高麗芝という日本独自の芝、いわば日本ゴルフの象徴みたいな大会だ。だからこれをもって復活というのは早計だろう。繰り返すが、大事な年に日本あたりでくすぶっていては困るのだ。腰痛の徹底治療が先決。そして、芽の強い高麗グリーンを鏡のタッチに変えて見せた、あのセンスを1日も早く世界で発揮してもらいたい。アプローチとパットを冒頭で激賞した真意を組んでほしい。

 

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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