松山英樹が世界の頂点に立った。PGAツアー、世界選手権シリーズの第4戦、「WBCブリヂストン招待」はオハイオ州アクロンのファイアストーンCC(7400ヤード、パー70)で最終ラウンドを行い、首位から2打差4位の松山は1一グル、7バーディーの9アンダー、61のコースレコードタイをマークし通算16アンダーで2位に5打差をつける大逆転優勝を飾った。選手権シリーズは昨年10月の第1戦「HSBCチャンピオンズ」以来2勝目、今季3勝(通算5勝)。この結果、シーズンを通して争うフェデックスポイントでトップに立った。大会前まで3位の世界ランキングは変わらず。前日首位のザック・ジョンソン(米)は2位。小平智は47位、谷原秀人は50位だった。
2番パー5、グリーン右エッジからの松山のピッチエンドランのアプローチは15ヤード先に落ちるとゆっくりと15ヤードを転がりカップに沈んだ。幸先のいいイーグルに乗った。3番、6番、そして9番、入れごろのバーディーパットが入った。アウトを終わってジョンソンに2打差をつけた。 インは誰が見ても納得、王者のゴルフを展開した。難ホールの13番で6メートルを入れると16番、“モンスター”の異名を持つ水の絡んだ難ホールを1メートルにつけるバーディー、17番2メートル、18番は1メートルを入れ3連続バーディーとした。打てば寄る、狙えば入る“松山ワールド”にコース中が酔いしれた。
「いつもとんでもないミスをしてきた。パープレーできるだろうか、スタート前は不安でしょうがなかった。イーグルは不安を吹き飛ばしてくれた」と明かした。なぜか13年前のことが思い起こされた、という。2013年、松山ルーキーイヤーの予選2日間、タイガーと初めてラウンド。その2日目にタイガーは61のコースレコードで首位に立つと大会8度目の優勝へ一気に突っ走った。松山の脳裏にそんな思い出がよぎった、いい兆候だったのだろう。61はタイガーに並ぶコースレコード。2位に5打差。そのときタイガーは7打差、上には上がいるが背中をタッチできたと思った。この日、“これで来週の全米プロで日本人のメジャー初優勝が見えたね”と聞かれると「全米プロとの相性は良くないけれど、今週良かったので僕が頑張って勝てるように頑張ります」と力強く答えた。成長にはキャリアと思い入れ、きっかけが必要だ。松山に時が味方した。
誰よりも広いワイドスタンスから安定したショットを放った。柔軟で強靭、乱れのないスイングは体感を使って安定していた。オハイオといえばニクラウスの生誕地。名門ファイアストーンCCは長く狭い難コース。中でも年々大木が空を隠し空中のペナルティーが選手を苦しめた。だが、難コースが松山に味方したフシがある。この日、18ホール中16ホールでグリーンをとらえた。ストロークゲインパット、30ヤード以内のアップ・アンド・ダウンで松山はナンバー1を占めた。アイアンがよく、寄せに長け、チャンスのバーディーパットは誰よりもバーディーにつなげた。努力のたまものだ。
天と地がその勝利に加担した。松山の米ツアー初優勝はニクラウスがオハイオのダブリンで立ち上げ主宰する「メモリアルトーナメント」だった。そして今回の2勝目はオハイオ州のアクロン、ニクラウスの生家とホームコースのサイオトはコースから車で20分の近さ。ここもまた”帝王の庭“であったのは偶然ではなかった。今回の優勝は驚異のショットメーカー、ヒデキ・マツヤマにとって象徴的な出来事に思えてしかたない。いや、実は今回の圧倒的なゴルフをみていて困ったのは、あのニクラウスと何もかもがオーバーラップしたことだ。でもアメリカのニクラウスファンに怒られてもいい、それほど素晴らしかった、と言いたいのである。
さらに余談をゆるしていただくと、あのよく働いたマレットタイプのパターは、表彰ものだ。実は、がちがちのピンタイプゴルファー松山が広いソールがベタッと芝に密着するマレット、しかもグースネックが強いタイプに変えたのを見てびっくりした大会前だったが、次第に入ってくれた。そして最後はこれまでの生涯でおそらく一番グリーン上でさえわたって見えた。成長を得るにはひらめきと勇気と冒険が必要だ。ニクラウスはそうしてニクラウスになった。
松山は迷わず全米プロにつき進む時がやってきた。