アーノルド・パーマーの孫 武藤のコラム


人生は照る日、曇る日、いいこともあれば悪いこともある。だが、それらを俯瞰(ふかん)してみればいい世界だ。石川遼の優勝のチャンスあり、と期待した「プエルトリコ・チャンピオンシップ」は、強風の中、石川のゴルフは空回りに終わった。
 ティーショットが乱れ、アイアンに救われながらのゴルフはイーグル、バーディーも出るが、池に入れダブルボギーも多く74位だった。2012年には優勝争いし、惜しくも2位と得意のコースも、ちょっとした流れで得意が苦手に変わった。
 「15アンダーを目標にやれるコンデションに持って行けたが、いざ試合になったら、小さなミスの積み重ねで、違うコースのようだった。2週連続予選を突破、このフィールドにもどってこられたことと、今日の最終日、上がり3ホールでバーディーが3つ続いた。先を意識して自分をコントロールできたところが収穫。ちょっとずつ、いい感じになっているのでまた頑張る」
 今年は米ツアー優勝を目指し積極的にいく。そう宣言した前向きシーズン。次に期待だ。

 石川はだめだったが、いいものを見た試合だった。優勝争いは7アンダーで5人がプーオフに残る激戦は、石川のように次を目指す選手の息遣いたっぷりの迫力のプレーにわくわくした。役者がそろった。中でも、パーマーチャージと呼ばれた元祖、攻撃ゴルフで知られるアーノルド・パーマーの孫の、サム・サンダースの健闘に興奮した。フロリダ生まれ、クレムソン大時代に頭角を現しプロ入りも、今季ようやく下部のウエブドットコム・ツアーから昇格、PGAツアーに参戦した。
 パーマーには2人の娘がいて4人の孫がいるが、偉大なおじいちゃんの後をついだのはサムだけ。これまでパーマーの主催する有名なトーナメント「アーノルド・パーマー招待」に特別推薦で出場、話題をさらったが、27歳の今年初めて自力でツアー資格を取った。27歳。

 サムは最終日、68、通算7アンダーでホールアウト。上位陣のスコアが伸びず5人がプレーオフへ。最終18番で行われたプレーオフ、サムはだれよりも有利にプレーを運び2メートルのバーディーチャンスにつけた。グリーン上、ライバルが次々とバーディーチャンスを逃すとパーマーの影を知るギャラリーの期待も高まった。だが、7メートルのパットを、ドイツのベテラン、アレックス・チェイカが沈めバーディーとすると、流れは変わった。サムのパットは外れ、PGAツアー通算32戦目の初優勝は逃した。パーマーの初優勝はプロ30戦目。偉大な祖父に並ぶことができなかった。

 WGCシリーズ「キャデラックチャンピオンシップ」の裏大会。上位陣が抜けたプエルトリコの戦いは石川の夢とともにサムのアメリカンヒーロー物語の夢物語も砕かれた。しかし、ドイツのチェイカの戦績をみて判官びいきを戒めたものである。
 この試合はチェイカにとってPGAツアー287戦目であった。実にプロ入り27年、44歳。チェコに生まれ9歳で難民となりドイツに移住した男のアメリカで初めての晴れ姿であったのだ。チェイカもまた今季、サムと同じ下部ツアーからの参戦であった。

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

最新のカテゴリー記事