遼よ イマジネーションだ 武藤のコラム


 石川遼のPGAツアー初優勝はならなかった。米バージニア州のロバート・トレント・ジョーンズGCで最終日を迎えた「クイッケンローンズ・ナショナルチャンピオンシップ」(7385ヤード、パー71)。最終日、首位から3差8位スタートの石川は2バーディー、2ボギーとスコアを伸ばせず11アンダーの、10位に終わった。

 初日、ホールインワンのラッキーを生かし63の首位、2日目68の11アンダーで初の単独首位と好調だったが、決勝ラウンドに入ってからは2日連続のパープレーでは優勝戦線に残れなかった。

 最終ラウンドはコースが乾き、厳しいコンデション。16番パー5で6メートルのイーグルパットを入れればトップ5入りというチャンスもあったが、バーディーで終わり10位が精いっぱいだった。

 この結果、フェデックスポイントでシード入りぎりぎりの125位へ上昇、賞金ランキングも80万ドル余で昨シーズンのレベルまではこぎつけた。しかし、今後も続くシード権争いの厳しさに変わりはなく息を抜けない。今後、あと一回、今回くらいの優勝争いが」“マスト!”になる。

 ホールアウト後の表情がさえなかったのは、自分へのふがいなさ、だったのだろう。

 「プレッシャーのあった中でいい経験をできた。パットが入ってなかったが、こういうことは悔いていても仕方ないし・・・。厳しい状況の中でいい4日間だった。来週も頑張る」

 確かにプレッシャーはあった。好スタートを切り3日目に重圧の中、ショットが曲がった。この日は下降線に入ったゴルフをどう立て直し、スコアを出すかが課題だった。しかし、チャンスのパットは何回か外し、勢いに乗れなかった。

 パットは入るにこしたことはないが、惜しいのを外してもなおチャンスを作る。そうした流れはすべてのショットやパットにかかってくる。だが、最終日のゴルフには上を目指す石川らしさは見られなかった。

 かつてトム・ワトソンに石川の可能性について聞いた。3年前だ。「遼のイマジネーション、想像力こそ財産だ」といった。「目の前の球をどこにどう打つか。そのために高いドローを打つのか。風に乗せてせめるのか、その想像力が一流選手かどうかを決める。彼にはそれがある。想像力があるものは、あとは猛練習あるのみ。その才能に感謝してあとは打って、打って、打ちまくるのさ」“ショット、ショット、ショット”と叫ぶようにいうワトソン。その目に狂気の炎を見た気がした。

 そんな目で見てきた石川の最近の苦労は、そのひたむきさへの取り組みとほほえましく見えた。だが、この日、それがあったか、と思い返すとワトソンが見たら、眉をひそめたに違いない、というしかない。特にインではグリーンの広い方を狙ってグリーン上、まったくチャンスが来なかった。14番のパー5で果敢にツーオンを狙い、後2メートル短かったら“池ポチャ”のリスクを冒してのイーグルチャンスまでだった。16番パー3でピン左、左傾斜のグリーンを右から攻めた想像力の弱さにハッとなった。あそこは強い気持ちで、ピンをまっすぐに攻めてほしかった。だが、石川は右に打ち、バンカーに入れボギーだった。上位に食い込むチャンスを自ら摘んだ。17番、18番とバーディーチャンスはさらに遠のいた。

 優勝はトロイ・メリット。29歳のバスケット好き、長身のアメリカ人。ツアー98戦目でついに初優勝した。大会前、フェデックスポイント128位は、石川の140位と「おっつかっつ」のいい勝負。それが3日目に61、この日67。決勝ラウンドに入って15アンダーの猛攻を見せた。石川は決勝ではイーブンパーだった。この差はどこから来たのか。勝ちたいという気持ち、そこから生まれ出る想像力が、15ストロークもの差となった、と思う。タイガーもこの日68で久方ぶりのチャージだった。14番だったか、ピンそば30センチに落ちた球がギュギュギューとバックスピン。ボールはグリーンとラフを煙が出たのではないかという勢いで戻り池に入れていた。入ったのではない。入れたのだ。迫力が戻った。想像力を感じた。ゴルフは想像力だ。

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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