W杯コンビ、松山英樹と石川遼、よくやった たのしんだよ 武藤のコラム


 豪州メルボルンで行われたゴルフのW杯「ISPSハンダ・ワールドカップ」は27日、当地のキングストンヒースGCで最終日。松山英樹(24)=LEXUS=、石川遼(25)=カシオ=の日本チームは6位に終わった。

 

 首位、デンマークから7打遅れの4位から逆転を狙った日本だったが、中盤のバーディーチャンスをことごとく外し、チーム通算14アンダーとスコアは伸ばしたものの、首位から6打差と順位を落とした。デンマークが20アンダーに伸ばし、2位のアメリカ、中国、フランスに4打差の圧勝で大会初優勝を飾った。

 

 米ツアーを主戦場とする人気コンビの挑戦で日本3度目優勝の夢は実らなかった。3年ぶり開催の今大会はストロークの合計で争うダブルス戦。ボールを交互に打つフォアサムと個々のボールを打ち、そのいい方のスコアを取るフォアボールで争ったが、グリーン上、チャンスを生かせなかった。

 

 この日はチームのベストスコアを取るフォアボール。3番から3連続バーディーで波に乗る好スタート。だが8番から12番までの5ホールで2~5メートルのバーディーパットを逃したのが痛かった。くやしさに唇をかむ日本チームの目の前で中国や、最終組のデンマーク、アメリカが一気にスパートすると見る間に差がついてしまった。

 

 「初日は僕が大事なところでミスをするなど英樹の足を引っ張った。プレッシャーのかかる試合を乗り切るしたたかさに欠けていた」と石川。松山も「試合形式が変わるといつものゴルフができないひ弱な部分が出て戸惑った。どんな状況でももっと強くなれないといけないと反省している」と声は小さかった。

 

 世界ランクの上位者が自分のパートナーを選び2人一組となり国や地域を代表して争う国別団体戦。今回はワールドランク6位の松山が同期、同年齢の石川を“指名”して生まれたコンビ。新鮮で強力な布陣に期待は大きかった。

 

 このコラムでも早々と優勝する、とぶち上げた。松山の急激な上昇度、石川は腰痛で今季前半の米ツアーを休むなど不安はあったが、8月の日本ツアー復帰後、すぐ優勝するなど順調に来ていた。地元で有利なアダム・スコットのいる豪州、リッキー・ファウラーのアメリカとは勝るとも劣るところはない。信念をもって推奨したが、ゴルフはわからない。メルボルン郊外の風は外国人には読み切れない。かつて何回か訪れたとき、豪州の選手たちが言い放ち、その言葉通り、外国からの名手をほふり去ったものだが、今回はデンマークが勝った。2位には中国、そしてフランスだ。豪州は8位。

 

 今年で53回目。優勝回数(団体戦のみ)はこれまで13か国に集中、ゴルフ王国の独占の様相だったが、そんな“常識”はどこかに吹き飛んでしまった。これもオリンピック効果なのか、いずこの国のモチベーションも上がった。日本の思うようにはいかなくなるなあ、と警戒心が募るばかりである。

 

 でも4日間。テレビ観戦だったが、心から楽しんだ。二人が懸命に戦う姿には感動があった。そのしたたかな姿は迫力にあふれ満足した。

 

 石川は帰国すると1日おいてディフェンディングチャンピオンとして2連覇のかかる「ゴルフ日本シリーズJTカップ」(東京よみうりCC)。松山は日本経由で次戦の米ツアー「ヒーロー・ワールド・チャレンジ」(バハマ)」へ。今回はタイガー・ウッズ(米国)の復帰戦。今季、フェデックスポイントで首位の松山がいなくては始まらない。日米ツアーになくてはならないスター2人である。

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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