カップにボールが収まるまで何が起こるかわからない、と言われるゴルフだが、悲劇は日本の賞金王、宮里勇作の夢を砕いた 武藤一彦のコラム


 宮里勇作にとっては悪夢のような最終ホールだった。17日、インドネシアのロイヤル・ジャカルタGCで行われたアジアンツアー「インドネシア・マスターズ」最終日。最終組の一組前を回った宮里は、その時点で3位につけ、世界ランキングポイント50位以内を確定、2018年4月のマスターズ出場を決めていた。だが、その直後の最終組で悪夢が訪れた。あろうことか、宮里より下位にいたプレーヤが二人そろって最終ホールでイーグルを決めたことで宮里を土壇場で逆転したのだ。マスターズ出場の夢はその時点で雲散霧消した。

 

 起こってはならない事態というしかない。ロイヤル・ジャカルタGCの最終ホールをパーとした宮里はこの日69、通算18アンダー、3位でホールアウトした。第1日の8位から5位、3位と順位を上げ英国のジャスティン・ローズに大きく後れを取ったとはいえ3位は世界ランクで50位以内を確保する上々の成績。マスターズ出場を自力できめる会心のラウンド、となるはずだった。

 

 だが、最終組のアフィバーンラト(タイ)ビンセント(ジンバブエ)が2オンのイーグルチャンスにつけると、7,8メートルのパットを立て続けに決めるイーグルフィニッシュしたからたまらない。宮里が1打リードしていたビンセントが単独で3位に上がり宮里を4位に蹴落とした。今大会4位以下ならマスターズはお預け、とその出場資格は世界ランクにゆだねられていた。宮里ははじき出されてしまった。

 

 「、、だったら」「、、になっていれば」―“たら”“れば”はゴルフにつきもの、結果がすべてだが、1打の重みはしばしば人生を左右する。

 

 この最終ホール。550ヤードの2オンホール、追い風が吹き宮里にもイーグル、バーディーのチャンスは十分にあった。だが、宮里の第2打はバンカー。バンカーショットは大きくカップをオーバーしバーディーはならなかった。宮里の飛距離、日本国内の最終戦「ゴルフ日本シリーズJT杯」で逆転賞金王の流れから言えば、最終ホールをバーディーとすることぐらい“あさめしまえ”の状況。それができなかったことに悔いが残る。
 最終組のローズを含めビンセントら3人はそろって2オン、イーグルだった現実を突きつけられると、宮里の運気のなさが恨めしい。

 

 しかし、それを言ったらゴルフなんて全く面白くもなんともないスポーツ。そうした綾(あや)がこのゲームを支え、500年にわたり人々を虜(とりこ)にしてきたのである。宮里はベストを尽くした。邪魔した二人もベストを尽くした。ただそれだけのことである。だが、その結果、宮里の年内にマスターズ出場という、夢は消えた。宮里に再び奮い立って挑戦する意欲が残っているだろうか。ゴルフは人生に例えられ、ナイスショットは見るものを楽しませるが、そのショットの当事者にとっては面白がってもいられないのが常だ。ビンセントはマスターズへ、アフィバーンラトは年内のあと1戦にチャンスを残した。しかし、宮里には3月中旬まで、マスターズ出場をかけた戦いの日々が続く。これがプロ人生というのも簡単、頑張れとこえをかけるのもたやすいが、いまは声もない。

 

編集長よりおことわり
本原稿はインドネシア・マスターズ終了直後に執筆しております。
宮里選手は競技終了直後のワールドゴルフランキング(WR)発表時(12月18日)では52位と発表され、米・マスターズトーナメントに出場できる年内50位以内にはこの時点では届いておりません。
ただしWRの年内最終発表時(2017年12月25日=日本時間)で50位以内に入る可能性については否定できませんので、ご了承ください。

 

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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