アメリカ勢3年ぶり優勝、マスターズチャンピオンは27歳、パトリック・リード 武藤一彦のコラム


 今季メジャー第1戦の「マスターズ」(4月5~8日・米ジョージア州オーガスタナショナルGC)はパトリック・リード(米)が通算15アンダーで優勝し、賞金2億1186万円(198万ドル)を獲得した。テキサス出身、地元ジョージア州オーガスタ大卒の27歳、メジャー初優勝。2位ファウラー、3位スピースとアメリカ勢が上位を占めた。史上最多タイの4人が出場した日本は松山英樹が通算3アンダーの19位、小平智はイーブンパーの28位。宮里優作と池田勇太は決勝ラウンドに進めなかった。

 

 14アンダー首位のリードを追って、9打差の5位で4組前を行くスピースが猛追し、大歓声の中、好ゲームが繰り広げられた。スピースはアウトを5バーディ―の31、インも4バーディーを加え14アンダー、一時首位に並んだ。9打差逆転なら大会史上、最多逆転劇の快挙。だが、最終18番のスピースはティーショットを左林の木にぶつけグリーンまで300ヤードを残す痛恨のミスでボギー、3位に沈んだ。2位には祖父を日本人に持ち、ミドルネームに日本名ユタカ(豊)を持つ、リッキー・ファウラーが1打差で食い込み、過去2年間、外国勢にタイトルを献上したアメリカだったが、ワン・ツー・スリーフィニッシュと“強いアメリカ”を取りもどした。

 

 大会は初日から荒れ模様。2連覇を狙ったスペインのガルシアは15番パー5で池に5発入れ13打と1ホールでの大会ワーストスコアの大たたき。前回大会、ローズとのプレーオフを制し優勝した余韻を楽しむ間もなく姿を消した。
 高速の受けグリーンは微妙なスピンコントロールを求められたが、スピンが強くかかったためバックスピンした球が池まで戻ったのは気の毒だった。オーガスタには魔女が棲む、といわれるが、日本の池田も宮里も魔女におびえたのか、いいところが出せなかった。

 

 3日目は雨。締まっていたグリーンは柔らかくなって球が止まりスコアは伸びた。しかし、松山は懸念した左親指付け根の痛みが2日目の途中からでてしまい元気がなくなった。2月に痛めツアー6戦を休んだ“爆弾”だ。
 快癒の難しい部分、ショットのたびに負担がかかる箇所だけに心配されていた。かばいながらのラウンドは持ち味のアイアンに切れがなかった。グリーン周りのアプローチショットに息をのむうまさを見せたのは収穫だったものの、いつもの松山ではなかった。勝負機運の高まる決勝ラウンドで、故障箇所を気にするようでは本来の姿で戦うのは難しい。最終日、69をマークしたが、9番から18番までの10ホール、ことごとくチャンスを逃し連続パーの19位。ここ4年で最も悪いフィニッシュとなった。どう立て直すのか。祈るように見守るしかない。

 

 初出場の小平は23位で決勝ラウンドへ進んだ。バーディーパットの入る確率とグリーン周りからのパーセーブ率に見どころがあった。昨年の日本ツアー賞金ランク2位、世界ランク46位(マスターズ直前)のショットが世界でも通用し始めた。ドライバーショットの飛距離と正確性が持ち味、オーガスタのパー5でのバーディー率は高く、今回健闘の原動力となっていた。
 だが、アウトの4、6番、イン11、14番の難しいパー4では連日苦戦している。予選を通った後、「決勝ラウンドでは勝負に出て大暴れしたい」と力んだが、ボギーが先行しては勝負に出るまでにいたらなかった。会心のショットがピンに絡むとは限らない。初めてのオーガスタは課題を残した。初出場で上々のデビューとなったが、勝負はこれから。小平スタイルの攻めのゴルフをどう極めていくか。注目したい。

 

 勝てば生涯グランドスラムだった注目のマキロイ(英)は最終組、格好の舞台に立ったが、上位陣のワーストとなる74をたたき9アンダーの5位に沈んだ。もう一人、タイガー・ウッズは最終日にようやく60台となる69、通算1オーバーの32位。二人はともに故障から復帰、今季マキロイは「アーノルドパーマー招待でカムバック優勝。タイガーは「バルスパー選手権」で2位だった。再びメジャーで輝くのはいつの日だろうか。メジャー第2戦は6月の「全米オープン」(14~17日・ニューヨーク州シネコックヒルズGC)で開催。

 

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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