真夏の昼の夢と悪夢と。シェークスピアの国の全英オープンの明と暗 武藤一彦のコラム


 世界最古のオープン競技、第147回「全英オープン」は22日、英スコットランドのカーヌスティー・ゴルフ・リンクス(7402ヤード、パー71)で最終ラウンドを行い、イタリアのフランチェスカ・モリナリ(35歳)が8アンダーで、イタリア人として初の大会優勝を飾った。メジャー15勝目を狙ったタイガー・ウッズ(米)はアウトを終わって単独首位に立ち、ニクラウスと並ぶメジャー15勝に期待がかかったが、後半11番のダブルボギー、12番のボギーで後退。5位に終わった。

 

 モリナリとタイガーが同組を回り最終日の優勝争いを盛り上げた。
 世界ランキング71位、今季復活に大きく前進した42歳のタイガーは、ティーショットを2アイアンで刻むなど意欲的。グリーン上のパットも冴え、前半を2バーディー、通算7アンダーで単独トップに立って沸かせた。だが、11番、深いラフからのリカバリーショットを観客にあてるなどのトラブルでダブルボギー、続く12番もラフを渡り歩きボギーと自滅した。持ち前の豪快なドライバーショットは影をひそめたが、5回の腰痛の手術から復活、戦略を重視した新たなスタイルに活路を見出したようだ。グリーン上、ファーストパットはすべてオーバー目に打ち、返しのパットはことごとくカップ真ん中を割って往年の輝きを取り戻したのは収穫。第2期黄金時代の予感もある。今後期待していいだろう。

 

 フランチェスコは、モリナリ兄弟の弟、イタリア・トリノ大出のトップアマからプロ入り、欧州ツアーで活躍、イタリアアマチャンピオンの兄・エドアルドとコンビを組みワールドカップのチャンピオンだ。ここ3年は米PGAツアーとの掛け持ちで、欧州ツアー5勝。今季は1か月前の米PGAツアー「クイッケンローンズ・ナショナル」で最終日に1イーグル、6バーディーの62、通算21アンダー、2位に8打差をつけイタリア人として1947年以来のチャンピオンの座にすわった。その時の試合でもタイガーは11アンダーで4位だったからタイガーのライバルとして今後二人の対決は新たな話題となりそうだ。

 

 それにしてもモリナリは強かった。狭いフェアウエー、リンクスにしては珍しいOBに怯えながらスコアを崩すライバルたちをしり目に最終日、1番から13番まですべてパー。プレッシャーのかかる後半は持たないだろう、という“意地悪な予想”の中、14番パー5を2オンのバーディー、18番もバーディーとついにノーボギーで突っ走った。「ゴルフの内容の良さといい、運の良さといい、すべてがそろった。人生最高の日を迎えられたことが信じられない」とホールアウト後は涙にくれた。今年はライダーカップがある。欧州チームのエースとしての活躍が注目だ。

 

 歴史は繰り返されるというが、松山英樹には悪夢の大会となった。全英オープン第2日目の予選ラウンドであえなく予選落ちした。初日4オーバーの110位と出遅れた松山が14番イーグル、16番バーディーと60人抜き、30位と急上昇で迎えた18番、ラフからの204ヤード6アイアンのショットはグリーン奥の観客の頭上を越えOB。4打目をグリーンに乗せた後、3パットをした。

 

 こだわっても仕方がないのだが、英スコットランドのカーヌスティーゴルフリンクスの18番では19年前にも同じようなことが起こっている。
 3打リードの首位、優勝を目の前に迎えた、フランスのジャン・バンデベルデはティーショットを右ラフへ入れ3打目をバーン(小川)へ。結局6オン1パットの7をたたきプレーオフでやぶれた。勝てばフランス人として92年ぶりの快挙は不意になった。人はいまその出来事を「バンデベルデの悲劇」と呼ぶ。
 松山の悲劇は、おそらく世界的には話題にもならないことだが、日本にとっては忘れられない歴史上の痛恨事となった。「真夏の夜の夢」を生んだシェークスピアの国で起こった“真夏の昼の悪夢”とあきらめるしかないか。

 

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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