83回を迎えた伝統の日本オープンは24歳の稲森祐貴が勝った。高校2年でプロ転向、8年目の小兵プレーヤーは3日目首位に立つとインを3連続バ―ディーの68、通算14アンダーとし、2位に2打差と首位を譲ることなく逃げ切った。169センチと小兵だが、シード権を4年連続で維持してしたたか。フェアウエーキープ率は15年から3年連続ナンバーワン、最終日は100パーセントの高打率だった。アメリカで売りし中の“コラボ設計家”、クーア&クレンショーのコンビが改造した神奈川・横浜カントリークラブを舞台の注目の大会は、若い世代が上位をひしめき時代を換(か)えて新時代を現出した。
最終日最終組は稲森と3打差2位の竹安俊也とツアー未勝利の二人。その前組にはこれも未勝利の鍋谷太一。大方の予想はツアー18勝、ここ4年こそ優勝はないとはいえ49歳の藤田寛之に期待が集まった。「ゴルフは経験がモノ言うスポーツ」というのがその根拠。
しかし、一人、稲森のしたたかさが際立った。アウトを1バーディー、1ボギーのあと10番で6メートルを入れ2位に3打差、13番でも6メートル、14番パー5を2オン、15番では30センチにつける3連続バーディーで一気に優勝へとひた走った。「パットをショートすることだけは絶対したくない」と大会中に誓っていた。「ドライバーのフェアウエーキープ率ナンバーワンといわれそこだけは譲れないとやってきたが、優勝できなかった。何が足りないかと考えたらパットが弱気だった。積極的に行こう」と心に決めたのは予選ラウンドの時だった。好調なティーショットはフェアウエーからのショットに冴えを加味し全く危なげなかった。強気のパットの成功はショットにも好影響、切れ味は抜群。18番をボギーとしたが、2位ノリス(南ア)に2打差の楽勝だった。
開催の横浜CCは7257ヤード、パー71。東西36ホールあるうち2年間かけて改造した西コースを中心に18ホールをピックアップした。ちなみに大会は1978年、西コースを使って行われセベ・バレステロスが優勝している。近来、世界のコースは古いコースを改造、飛距離が大幅にアップした“飛ぶゴルフ”への対応に取り組むが、改造はビル・クーアとベン・クレンショーが行った。クレンショーはマスターズチャンピオンとして知られる。
コースはティーグラウンドからグリーンまでが洋芝で1本の川のようにつながり、その周りをファーストカットと丈の長いラフが囲む形状。例えば1番ティーグラウンドはフェアウエーの延長線上、左足下がりにティーマークが置かれていた。グリーンから逆算してフェアウエーをたどってきたとき、ティーグラウンドの位置が自然と決まった、という感じだ。そんなコンセプトのグリーン周りも、ピン1メートルに落ちた球がスピンによってこぼれ、球はグリーンから遠ざかるシーンが多くみられた。ここはティー、バンカー、そしてピンという従来のクラシックスタイルの概念を打破。フェアウエーのどこからでも攻めさせる意図が感じられた。「距離の長いホール、短いホール、ストレートなホール、ドッグレッグ。さらに飛ぶ選手、飛距離のない選手のそれぞれの工夫によって攻略できる可能性を持たす一つの方法を追求した」とクーアは言うが、今回、若手の中でも、ショットメーカーとして知られる稲森が優勝し、竹安、嘉数光倫といった若手と藤田寛之、片山晋呉といったベテランがトップ10入りした結果を見るとリメークに尽力した2人の新進設計家の意図は充分に達成されたとみている。コースによる新しい時代の幕開け。忘れられない日本オープンとなった。