大魚逃した日本勢 武藤一彦のコラム


 大魚逃げる。荒れた天気に日程がずたずたになった伝統の「日本オープン」最終日は20日、福岡・古賀GC(6817ヤード、パー71)で第3ラウンドの残りと最終ラウンドを行い、日本勢には厳しい大会となった。韓国系米人のチャン・キムが8バーディー、4ボギーの4アンダー67のベストスコア、通算1オーバーで大会初優勝、日本ツアー4勝目を大逆転で飾った。
 日本勢は29歳の東北福祉大出身、塩見好輝が最終ラウンドの14番まで4アンダーとただ一人アンダーパーをマーク、2位に4打差をつけたが、14番でダブルボギー、15、17番ではトリプルボギーと大きくスコアを崩し、星野陸也と並んで10位。代わって堀川未来夢がイーブンパーと粘り16番で首位に立ったが、17,18番を連続ボギーとし1打及ばず2位。比嘉一貴は4オーバーの4位。注目の賞金ランクトップの今平周吾は同2位の石川遼と並んで12位だった。

 

 ゴルフの面白さ、こわさがめまぐるしく交錯した。優勝争いの大詰め、サンデーバックナインへ3アンダーで突入した塩見が13番で2メートルのバーディーパットを決めたとき同組の今平に6打差、前を往く2番手の堀川に4打差がついた。ひとり野を往く勢いの塩見にだれもなすすべもなく逃げ切りを許すのか。そんな空気が覆い始めたその直後の14番、塩見のドライバーショットは右林。4オン2パットのダブルボギー。続く15番ではティーショットを深いラフ、直後グリーンサイドのバンカーに入れアプローチミスを連続、5オン、2パットの7の乱調は痛かった。2アンダーのスコアは一気に1オーバーに落ち、この時点で堀川、そして最終ホールをバーディーとしたチャン・キムに首位を譲った。

 

 集中力と攻撃力は一体だ。17番243ヤードのパー3を果敢に打って挽回を目指す塩見はグリーンオーバーした後のピン20ヤードほどのロブ気味のアプローチをショート、次をグリーンオーバー、またもトリプルボギーとした。寄せワンを狙って柔らかく打つ手元が動かずミスした後、しっかり強く打ったリカバリーショットは、強すぎた。誰もがスコアを崩すときに経験する”何が起こったのかわからない状態“に落ち込んだ塩見。優勝争いのまっただ中で起こってはならないことが起こった。「15番はバーディーを狙い、欲をかいた、、」「17は、だれでもパーを取れるところから大たたきした、、」最終ホールもボギーになった。
 大阪出身、少年時代は少林寺拳法で全国優勝、スノボーを愛したゴルフ上手の少年は高校ゴルフ界の名門、埼玉栄高を経て東北福祉大。高校、大学ではともに主将つとめ数々のタイトルを母校にもたらした。今回が4回目出場の日本オープンは最終予選会を突破しての晴れ舞台。大きな飛躍となるはずだった。12年プロ入り、14年シーズンにはシード入りも果たしながら以来、下部ツアーが主戦場。ホールアウト後、顔を覆ったが、涙はなく笑顔すら除いた。それは悔恨の笑みではあっても好感が持てた。大きな飛躍こそならなかったが、この日、賞金ランク50位にあがった。シード権奪回の旅が始まった。優勝したチャンはその直後、号泣した。2歳で一家そろってハワイ移住した韓国系米人、流ちょうな英語を話す188センチの大男だが、昨年は腰の故障で1年間を棒に振る、焦燥のシーズンを過ごした。勝運はゴルファーの上を着地点を求めてさまようらしい。勝運は大魚と化して今回はチャンの網にかかっただけと思いたい。

 

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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