わが道を一人行く岩田寛が賞金ランキングトップに立った。 動きだした大器に期待する 武藤のコラム


 男子ツアーは我が道を行く岩田寛が優勝、一気に賞金トップに躍り出た。札幌郊外のザ・ノースCCで行なわれた「長嶋茂雄招待セガサミーカップ」の最終日、3位スタートの岩田は66のベストスコアで逆転勝ち、賞金3000万円を上乗せ、賞金ランクを29位から首位にあげた。名門・東北福祉大出の34歳、ツアー2勝目とスロー・スターターが、ようやく開花の時を迎えたようだ。

 岩田の足取り。仙台育英高から東北福祉大へ。04年プロ入り、06年初シード、以来9年連続でシードを保持する。だが、初優勝は昨年の「フジサンケイ」。それまで2位3回、3位が5回。プレーオフ負け2回。肝心のところで勝運を自分から突き放すような負け方が目立った。だが、30歳を過ぎて変化していた。「アメリカに行きたい」と父でコーチの光男さんへ直訴する。ゴルフに目覚めたのだ。

 東北・仙台市の練習場が実家。父・岩田光男さんは東北を代表するトップアマからシニアツアーが認定プロ制度を導入すると認定プロとなった人。東北福祉大の最初のプロ、星野英正は小学生の時から教えた。のちに東北福祉大が野球に次ぐ強化スポーツにゴルフを取り入れると星野はじめ松山英樹に至るまで多くのトッププロを生んだ下地を作った人だ。そんな環境の中、だが、マイウエーを貫いたのが岩田だ。ゴルフは野球と平行してかじっていたが、仙台育英高時代はスケートボードに没頭、一時はプロを目指した。そんな折り、父のもとで励む星野を見ても「俺にはとてもまねできない」淡々とスケボーに取り組んだ。

 

 だが、ゴルフへの熱情はそうした中、ふつふつと煮えたぎっていた。いや、本人はそんなことは口にしない。代わって光男さんが明かしてくれる。「子供の頃部屋に入って驚いた。私の等身大のアプローチの写真が壁にはってあった。聞くと“アプローチが下手なので毎日参考にしている”。あっ、一生懸命やってるんだと感激した」無名の大学時代にもこんなことが。「“もっと追い込んで教えてほしい”といわれた。全国大会に出るようになって力不足を悟ったのか、自分からそういってきたことがありました」

 大学4年、仙台CCに研修生として入った。大学に通いながらの無報酬研修。条件は早朝のラウンドをすることだけ。雪かき、芝張り、力仕事は何でもやった。休みは月曜日だけ。プロ入りまで月曜は疲れ果てて寝ていた、という。

 昨年秋、上海で行われた米ツアー世界選手権シリーズの「HSBCチャンピオンズ」で3位になった。優勝争いはババ・ワトソンとティム・クラークのアメリカ勢のプレーオフ。わずか1打及ばなかった。大学の後輩松山は41位。「アメリカに行きたい」という夢は少しずつ近づいていた。そして今回の2勝目。目下、日本ツアーの賞金トップの座だ。誰が嬉しいって、岩田その人。人の見ていないところで、ガッツポーズをしているはずだ。いや、彼のことだ、小さくこぶしを握った、に違いない。

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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