ツアー直送便 第九回 石川遼の底力!信じてます。


 全米オープンが行われたチェンバーズベイGCは、これまで私が取材した中で最も難しいコースだと感じた。数十ヤードの打ち上げや打ち下ろしはザラで、非常に距離感がつかみにくい。ティーグラウンドの位置はラウンドごとに半数以上が変わり、2日目にはアウト9ホールの総距離が米ツアー史上初めて4000ヤードを超えたという。グリーンはヘンリク・ステンソンが「まるでブロッコリーのようだ」と酷評し、ローリー・マキロイも「ブロッコリーほど青くない。カリフラワーだ」と皮肉ったように、至るところにデコボコがあった。完璧なストロークをしても外れることが多く、川村昌弘は「最初からあきらめ半分。入ればラッキーぐらいの気持ちでいる」と話していた。コースは砂丘で仕切られているためギャラリーが観戦できる場所は限られていた。山の頂上付近を横切る8番は誰も見ることができないなど、とにかく異例ずくめのコースだった。

 

 そんな中でも、石川遼は昔と変わっていなかった。「イメージが大事」と、全ホールでティーグラウンド、セカンド地点、グリーン手前からの写真を撮り、毎晩イメージトレーニングをして攻略法を考えた。結果は予選落ちに終わったが、初日は日本勢で唯一の午後スタート。午前は穏やかだった風が石川のラウンド中だけ強く吹き続けていた不運もあったが、本人は一切言い訳をしなかった。「今は練習したくて仕方がない。もっとデカくなって帰ってきたいです」。私が彼に会うのは前回担当していた10年の年末以来。どんな時でも前向きで、絶対に後ろを振り返らない心意気がうれしかった。

 

 石川が日本ツアーで戦っていたころ、私は何度も漫画のような奇跡的シーンを目撃した。09年、茨城・大洗GCで林の中からわずか数十センチ四方の空間を抜いてグリーンに乗せ、直接カップインしたイーグルには腰が抜けそうになった。まだ来季シード権はまだ確定しておらず、8月末のレギュラーシーズン終了まで正念場の戦いが続く。逆境になればなるほど燃える男の、底力を信じている。(岩崎敦)

 

 ◇岩崎 敦(いわさき・あつし)
1971年4月13日、千葉県生まれ。早大卒業後、94年に報知新聞社入社。内勤のレイアウト担当、サッカー担当などを経てゴルフ担当は2000~02年、07~10年、15年~の3回。マスターズなど米ツアーは20試合以上取材しているが、一度もタイガー・ウッズの優勝を見たことがない。

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