2位のスピース、18位の松山、そして戦い抜いたにアマチュアに拍手を ― セントアンドリュースの全英オープン終わる 武藤のコラム


 盛りだくさんの全英オープン。スピースと松山から目が離せなかった。メジャー3連勝、グランドスラムのかかったスピースは、プレーオフにわずか1打及ばず残念だ。たった1打、されど1打。上位にはザック・ジョンソンら3人が並びプレーオフ。上には上がいて優勝するのは厳しい状況だったとはいえ、厳しいからこそ残って,4人プレーオフに勝って8月の全米プロへーとなっていたら、と思い出すにいまだに胸がざわつく。

 “本物のグランドスラム”にこだわるのはだれも同じだろう。メジャーが4大会になった1934年以降、マスターズ、全米オープン、全英、そして全米プロを年間通して勝った選手はいない。あのタイガーが2000年、全米オープン、全英、全米プロのあと翌年のマスターズと2年がかりのメジャー4連勝の“タイガースラム”。が、スピースは一シーズン、全メジャーのタイトルを一手に、あと一歩までせまった。いくら褒めても、褒めたりない。

 16番でバーディーとし15アンダーのトップにたったものの17番ボギー。迎えたバーディーならプレーオフ進出の18番、セカンドをグリーンからこぼしパーに終わったスピース。だが、「戦いぶりに満足できた」と力強く語ると「過去3勝したプレーヤーも多くないし、それが次の目標」と全米プロへ闘志を見せた。7月27日に22歳の誕生日。旺盛な闘争心を持ったクールガイ。今回は大魚を逃したが、その成長にいささかのよどみがないばかりかまた一回り大きくみえて、こちらも満足。8月の全米プロは見ものだ。

我らが松山は収穫の18位

 雨と強風で史上2度目の5日間開催。144回目の歴史の中、ありったけのアクシデントを一挙に集めたような忘れられない大会だった。われらが松山も戸惑った。結果的にパット数115のジョンソンにグリーン上で5打だけ悪かった。優勝が15アンダー、18位の松山が8アンダーだから7打差。1日平均にするとジョンソンが29パット、松山は30パットだ。「どうにかなったろうに」と何度も指折り数える。「平均28パットなら楽勝だったんだ」とまた数える。

 インで10ボギーはいかにもわるすぎた。バーディーは4つと少なくストロークで6打もオーバーだった。追い風のアウトでは14アンダーとスコアを伸ばしておきながら、折り返して向かい風になるやショットが乱れた。最終ラウンドに強く、中でも最後の9ホールにめっぽう強い伝説も今回ばかりは通用しなかった。高弾道が英国には通じない?スピンコントロール?コースマネージメント?パットの差だけでかたづける短絡さだけですまされない何かを探す松山のいばらの道の始まりだ。

第2ラウンドのベストスコアは報われるぞ

 だが、優勝争い5人衆に選ばれ期待されスピース、ダスティン・ジョンソンとの予選ラウンドを互角に戦った姿は素晴らしかった。頼もしく日本人として晴れがましかった。第2ラウンド!4連続バーディースタートで66のベストスコアをマーク、65位から54人抜きの10位に来た。強風による中断、再開するもまた中断の厳しい状況の中、一気に優勝争い。このときスピースとダスティンは嬉しそうだった。大会前二人は「松山は近いうちにメジャーに勝つだろう」(スピース)「ライバルとしていつも意識するプレーヤー」(ダスティン)と“太鼓判”。だから「僕らのいったとおりだろう」とその顔に書いてあった。メジャーで世界にアピールできる日本のプレーヤーは希少だ。松山は今回、大会前から最後まで期待に応えた。

アマ優勝の期待もあったシェークスピアの国

 3人によるプレーオフは4ホールのストロークプレーだ。かつては翌日18ホールを行っていたが、1995年大会から現行の方式へ。月曜日に18ホールは人手も経費もかかって無駄が多い、かといってサドンデスは荒っぽすぎると主催のR&Aは4ホールストロークプレーとした。歴史へのこだわりより今を変える。155年に及ぶ最古の大会も時代に合わせて様変わりしたわけだ。するとその年の優勝者はあのジョン・デーリーだ。時代を変えた。しかし、そんな風潮にそうはいかない、と立ちはだかったのが今回出場したアマチュアたちだった。

 大会は第3ラウンド終了時点でルイ・ウェストヘーゼン(南アフリカ)ジェーソン・デイ(豪)が12アンダーの首位にならんだが、その中に、アマチュアのポール・ダン(アイルランド)が食い込んで3人がならんだのである。さらにアメリカのアマ、ニーブルージも66をマークすると4打差6位。ににわかにアマチュア優勝の声がたかまった。アマが勝てば実に1930年のボビー・ジョーンズ以来の快挙。ジョーンズはマスターズの創始者、選手時代は終生、アマひとすじ、この年には全英アマ、全米アマの両選手権を勝ち全米、全英の両オープンもとるグランドスラムを達成した。全英オープンでのアマ優勝となると1890年、イングランドのジョン・ボールにさかのぼる。ボールは15歳で全英オープンに出場6位に入り神童と呼ばれた、とあってセントアンドリュースは沸き返ったものである。

 3人プレーオフにアマは残念ながら残れなかった。スピースも1打及ばず。日本の期待を一身に背負った松山も夢破れた。やはりここはジェークスピアの国。「真夏の夜の夢」だったのだろう。プレーオフに勝ったザック・ジョンソンが言った。「まさか自分が勝つとは思いもしなかった。夢が実現した」泣くか笑うか違えども勝者はいつも一人、必ず夢をかなえる。文豪もこれだけは変えられない。

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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