「ここからが本当の争い」今季最終戦出場が決まり来季のメジャーシード権も獲得した松山。-フェデックスプレーオフ第2戦 武藤のコラム


 米ツアー、プレーオフシリーズ第2戦「ドイツ銀行選手権」最終日、首位から5打差の6位からスタートした松山英樹は75と崩れ通算4アンダー22位に終わった。優勝争いはリッキー・ファウラー(米)がヘンリク・ステンソン(スウェーデン)を16番で逆転、通算15アンダー、1打差を守って勝った。今季2勝、通算3勝目を挙げた。

 ユタカとヒデキ。日系米人のファウラーと日本期待の松山英樹は明暗を分けた。

 祖父が日本人のリッキー・ファウラーはミドルネームが「ゆたか」、おそらく漢字表記なら「豊」だろう。1打差、2位スタートの最終日、17番でステンソンがダブルボギーをたたいたすきに首位に立ち、プレッシャーのかかる2ホールをしのぎタイトルを手にした。

 春の「ザ・プレーヤーズ・チャンピオンシップ」(TPCソーグラス)に次ぎ2勝、フェデックスポイントで3位につけ最終戦の「ツアーチャンピオンシップ」に勝てば賞金王、年間最優秀選手のチャンスをつかんだ。

 松山は空回りに終わった。首位から5打差10位は、優勝という言葉を口にするのもはばかられる大差。だが、昨年優勝の「メモリアル」の2打差逆転、プレーオフ優勝の実績と今季も開幕直後、2度の優勝争いから3位、2位を占めた実績がある。第3日には最終ホールで20メートル余のパットをねじ込むイーグルから65のベストスコアだ、期待して当然だろう。

 2番パー5をツーオンするバーディー、4番もバーディーを取り期待通り。しかし、6、7番のバーディーチャンスを逃がした後のショートパットをポロリ、連続3パットのボギーからリズムがおかしかった。14番、グリーン周りの深いラフからのロブ気味のアプローチを入れるバーディーで波に乗りかけたが、それは暗転への暗示だった。15番、短いパーパットを外し、さらに17番2メートル足らずも入らずボギー。前日ツーオンさせイーグルを決めた最終18番パー5はツーオンこそ逃したが、バーディーチャンス。だが、そこからなんと4パットのダブルボギーは痛かった。

 4オーバー75。大会初のオーバーパー。前日の10位から19位も順位を下げる22位への大後退だった。だが、松山の成長ぶりは、最悪の状況下でも揺るがない。気を取り直していった「悪い感じのラウンドではなかった」パットがきまらなかったのはグリーンが堅かったからだろう。グリーンの状況に合わせられなかったことを反省「ショットは徐々に良くなっているので、この状況で続けていければ、優勝争いできると思う。どうしてうまくいかないかを考え1週間調整していきたい」とホールアウト後。4パットにはさすがに驚いたのだろう。はにかみ口元が緩み首を傾げ、さすがにショックが漂っていた。だが、勝手ながら“これはかえって良いショック療法になった”と筆者はうれしい、ほっとしている。“次週、第3戦へのいち早いリセットを感じ”ウン、ウンと一人うなずく、“これでいいのだ!”。

 プレーオフシリーズは年間ポイントで上位125人だけで争われ、最後の4戦はポイントを加算しながら出場者を100人、70人、そして最終の30人と絞るサバイバルである。松山のポイントは今週で16位。次週、よほど不振でなければ最終戦の30位以内は確定している。この30人には来季メジャーの出場権が与えられる特別シードがある。そして、そのことは、なんと賞金王への可能性を残しているということだ。そう、次週「BMWチャンピオンシップ」(17~20日・コンウェイファームGC)でポイントがトップ5にいれば、最終戦のツアー選手権(24~27日イーストレイクGC)優勝で年間王者、世界一である。

 松山の余裕は“あと2戦、ここからが勝負ですよ”と構える、戦う姿勢の表われ。期待する。

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

最新のカテゴリー記事