遼復活の足音緊急連載2 ☆驚異のパッティング感覚の競演  石川遼の初メジャー優勝を生んだノーマルパット 武藤のコラム


 石川の勝因をあげるならティーショットとパットだ。ドライバーショットは大きなミスがなく苦手ホールはスプーンで刻んだ。そしてパットは勝負所を確実に決めた。史上初といってよい高速グリーンに2メートルからスリーパットするボギーというような最終日の1番のようなこともあったが、ここ1番というところは確実に決めた。スコアを落としても必ず取り返す流れが大量リードを生み、それがゆとりとなって冷静なラウンドを終始貫くことにつながった。

 

 大会前、石川は高速グリーンに喜んだ。改造して2年目の東京よみうりCCはアメリカと似たスピードと感覚だった。「この速さなら毎週やっていた。大きく変えなくても対応できる」はっきり、自信を見せた。練習ではクロスハンドを試みた。マスターズ、全米オープン優勝、ワールドランクナンバーワンの若きヒーロー、ジョーダン・スピース(米)の影響は石川にもくっきり。シーズン中から取り入れたクロスハンドは、特に高速グリーン対応の”応急措置“として垣間見られた。

 だが、突然、シリーズの第1ラウンド、石川のパッティングフォームは順手のノーマルスタイルに変わっていた。パターもL字からセンターシャフトのハーフマレットへ。突然の変化に誰もが「アッ」と驚いた。

 何が石川に起こったのか。順手は攻撃性が強い握りである、センターシャフトパターも打ち手の強気が伝わりやすい形状だ。キャッシュイン(金を稼ぐ)パター、攻撃志向の強いパターである。L字はさらに攻撃性を引き出すパターだが、石川はそれを安定したストロークを引き出すクロスハンドで操るところに妙味を求めていた。が、スタートのその日、石川はその独自の世界で自分なりのオリジナリティーを組み合わせたのだった。「傾斜が強くロングパットが大事になってくると思うのでクロスハンド。まずはロングパットでリズムを作って本番に備えた。リズムがつかめたので順手で行けると決めました」。世界を股に戦うトーナメントプロの感覚,感性。計算づくだったのだろう。

 初日、2日目、ともに31パット、いずれも68の石川は9位スタートで2日目トップに躍り出ると第3ラウンドは26パット、驚異のベストスコア63をマーク、2位に4打差をつけた。“作戦”は 功を奏した。

 今年の日本シリーズ。片山の摩訶不思議な「ふすま閉めパット」が話題。練習日、その誕生を終始見届けた身だからいうが、あのグリップ誕生は3時間の苦闘の末に生まれた。火曜日の練習日、大方の選手がラウンドに出たのを横目に片山は練習グリーン。右手一本で打つと入るパットが、左を添えると入らなくなるいらだち解決に過ごした。ツアー最終戦への腹の座った過ごし方。ツアー29勝、永久シード選手、さすがの対応である。

 

 右手一本で打つ2メートルは難なく入るが、左手のグリップを添えると球はひだりに引っかかる。グリップすると引っかかるなら、添える、触る、と試行するとうちにたどり着いたのがあのスタイルである。

 片山は左手を右親指側にねじると手のひらをカップ方向までねじり切り、手のひらをカップに正対させたのだ。

 「家に帰りふすまを左手で閉めると手の平は動く方向に向く。だから“ふすま閉めグリップ”」というのはあとからとってつけた説明。

 改めてレッスンすると、右手でパター、左手はひっくり返し、ぱあっと開き、親指と人差し指の作るV字で支える。左は腕ごと右へねじって左手をカップに向ける。(写真参照)。そりゃー、もうやりにくい。おそらく、世界初の奇妙奇天烈なスタイルの誕生である。私は、「手のひら、太陽向けパット」と自分なりに命名している。左手のひらをカップに向けて「はいってよ~お」と願うゴルファーの願いが凝縮したいい命名、赤ちゃんのあのモミジを開いた手のイメージがある。でも片山しかできない。片山だからできている。片山は一瞬、赤子にかえったのだろう、きっと。

石川の日本シリーズの勝因はパットにある。ゴルフはパットのうまいものが勝つ。石川のノーマルパットへの回帰が片山の奇妙奇天烈を上回った、と受け止めている。

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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