松山、待望の米ツアー2勝目 78回を数える伝統のフェニックスオープン、メモリアルに次いでプレーオフで優勝 武藤のコラム


松山が待望の2勝目をあげた。PGAツアー「フェニックスオープン」は松山英樹(23)がリッキー・ファウラーとの4ホールのプレーオフを制しツアー2勝目をあげた。首位から3差2位の松山は最終日最終組を回る重圧をはねのけ、4アンダー67、通算14アンダーとし、同組のファウラーと首位タイでホールアウト、4ホールのサドンデスによるプレーオフで優勝を飾った。PGAツアー2勝目。2014年の「メモリアルトーナメント」以来1年8か月ぶりの優勝はいずれもプレーオフ。世界に勝負強さを印象づけた。

 プレーオフの4ホール目、ワンオン狙いのスリルを呼ぶ評判の17番、パー4。松山は1メートル半のバーディーパットを外した後、30センチのパーパットを丁寧に沈めた。進藤キャディとハイタッチ、ファウラーと健闘をたたえあうグータッチ。激戦の末の2勝目に興奮はなかった。

 ツアー3年目のしたたかさが随所に覗く優勝だ。“負け戦”となる悪い展開を落ち着いて乗り切った勝利に成長ぶりが見えた。

 16番を終わってファウラーとは2打遅れ。だが、短いパー4の17番、当然のようにワンオンを狙ったファウラーのドライバーショットはグリーン手前ではねると球はスピードを落とすことなくグリーンを突っ切り奥の池へ飛び込んでボギー。松山はスプーンでグリーン手前へ、アプローチを寄せる。バーディーとボギー。土壇場で並んだ。

18番6メートルのバーディー、よく入れた松山

 勝負はここからマッチプレーの展開。二人は残る18番をバーディーとバーディー。しかし、このホール、松山は、1メートル半につけたファウラーのバーディーを意識しながら、6メートルのバーディーパットをねじ込んだものだ。このパットこそ松山の勝因となった。「下りのストレートラインと読んだが、グリーンが荒れているし、しっかり打つことだけに専念した」とあとで振り返ったように最大のピンチ。だが、追い込まれていたことが幸いする。開き直る状況が松山を落ち着かせたのだろう。こうした心理はトーナメントではよくある。

 プレーオフは18番を2度回っても決着がつかず、10番にホールを変えたが、ここもタイ。そして17番で決着した。

 強調したいのはこの間の松山だ。ティーショット、アイアンとともに安定していた。時間をかけ納得がいくまでスイングしない。派手なシーンはなく重苦しい1日を象徴するようなラウンドだった。そう、最終ラウンドは1番と13番でミドルパットが入っただけ。まさに我慢のラウンドが続いた。プレーオフに入ってからも強引な攻めはなかった。その姿はファウラーの切れ味、ひらめきからは程遠く、よく言えば重厚、しかし、愚鈍にすらみえたものだ。なにしろドライバーの飛距離は小柄なファウラーより時に20ヤードも飛ばなかった。「攻めろ、松山!」つい、叫びたくなるような展開だったのだ。

 だが、松山の経験は、愚鈍を選んだ。決めたことをやり抜く、マイペースを貫くことを選んだのだ。

 ステデイ イズ ベスト(安定こそ最高)と強引な攻めを封印した成果だ。この一年半で“トップ5以内に7回も入りながら優勝できない選手ランキング”の首位にランクされた松山であった。今大会は一昨年4位、昨年2位と悔しさの象徴だった。松山の我慢強さは悔しさの産物。よく粘った、本当にがんばった。

バンカーを罠と呼ぶアメリカの罠にはまったファウラー

 敗者となったファウラー。祖父が日本人のアメリカ人プレーヤー、世界ランク4位、今季は欧州ツアーで優勝し波に乗っていた。

 首位で迎えた最終ラウンドの17番はドライバーショットを370ヤードも飛ばしたのが“敗因”となった。ワンオン狙いのパー4。グリーンの左手前のピンまでは310ヤード。会心のショットはグリーン前の下り斜面にはねると勢いがついて50ヤードもあろうかというグリーンを転がると、その先のラフを越えて池に入った。状況の読み違いといえばいえるのと所属先のメーカーのクラブが今年は驚くほど性能が良い、何しろよく飛ぶのだ。今大会平均322ヤードも飛んでいた。性能テストに違反はないか?テストした方がいい、とみていた矢先の17番の“ドラコン悲劇”だった。

 こんな話がある。バンカーを障害物とみるか罠(わな)とみなすかの違い、という古い論争である。ゴルフはバンカーも池、荒れ地もハザードである。そこに入れると何らかのペナルティーをゴルファーは受けることに甘んじなければならない。だが、ゴルフがアメリカにわたってからバンカーはトラップ(Trap,罠)と言われるようになっている。どちらでもいいようだが、ゴルフの精神でいうとこの解釈の仕方の違いは重要だ。アメリカ人はバンカーに入れると「罠にはまってダブルボギーにした」などという。バンカーを、ゴルファーを陥れる罠とみなすのだ。しかし、ゴルフが自然の地形からを発生したイギリスではバンカーも荒地も人が甘んじて受け入れるもので、人が仕掛ける罠であってはならない、という。ゴルフ発祥の地、英国とゴルフを見るスポーツとして確立したアメリカ。ゴルフはかくあるべきという英米論争。いまだ結論は出ていない。

 さてファウラーだ。17番は最終ラウンド、そしてプレーオフと2度にわたって敗戦の大きな要因となった。ナイスショットしてボギーにした最初の17番は、本当に気の毒だった。プレーオフではスプーンに持ち替えたが、今度は手前に打ち込んだ。ショックのハービー・ペニック連鎖反応だったろう。

 コースはアリゾナの名物スタジアムコース。気難しいトッププレーヤー、トム・ワイスコフ設計だが、意地の悪い人ではない。悪いのはバンカーを罠と決め名手をだました一部のアメリカ人の心根に起因するのだろうか。ま、どうでもいいか。わが松山がめでたく2勝目をあげたのだ。

 

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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