今年の男子ツアー、メジャー第1戦「日本ツアー選手権森ビル杯(茨城・宍戸ヒルズヒルズCC、7384ヤード、パー71)はプロ入り9年、31歳の塚田陽亮(ようすけ)が優勝した。昨年の賞金ランキング56位、プロのキャリアの最高位3位でしかないシード4年目の塚田が、最終日12位から5アンダー66のベストスコア、通算2アンダーで逆転優勝の大番狂わせをやってのけた。
最終日のバット数はたったの23パット。ロフト18度のユーティリティーの2アイアンをティーインググラウンドから駆使するゴルフが功を奏した。フェアウエーキープに徹しグリーンサイドのアプローチにかけると、1番と3番で相次いでチップイン、1番がパー、もう一回は20ヤードを入れるバーディーといい流れに乗った。
13番のパー3で2メートルを入れるバーディー、480ヤードの最難関17番はドライバーショットをピンまで113ヤードまで打ち1メートル半のバーディーを決め、優勝スコア2アンダーにただ一人君臨した。9番ホール以降の10ホールでボギーなしの3バーディーは2メートル前後のパットをことごとく入れてピンチをしのぐ“綱渡り”に支えられた。これを“勝ち運の独り占め”という。ダークホースが誕生する条件をすべて満たしていた。
ゴルフに予想外の決着はつきもの。だが、時々こんなゲームの要素が色濃く出て驚かされる。塚田は「優勝することを夢見てやってきたが、この難コースで実現できた。すごくおどろいている。信じられない」優勝が決まり感極まって男泣きのあと絞り出すようにいった。その姿は崇高で見るものを感動させた。人生をかけ夢を追い続けた男の一世一代のプレーは、見るものを驚きと夢の中へと導いた。
キャリアは異色だ。中学3年で米フロリダのプレデントンのIMGアカデミーへ留学。テニスの錦織圭、女子プロの宮里美香、ポーラ・クリーマーで知られるジュニア育成のスポーツ養成システムに入り高校に通いながら連日英才教育を受けた。帰国して名古屋商大を経て08年プロ入りしている。トーナメント王国アメリカでゴルフにかけた青春。ものおじせずひたむき。しかし、既成の生き方をぶちこわす危なさも併せ持ってプロ9年。この優勝は人生の転機となった。
31歳の初優勝がメジャー優勝。170センチ、80キロのパワーヒッターをシンデレラ扱いするのもなんだが、王子の探す靴にぴったりはまった日本版、シンデレラボーイ。これからどんな発展を見せるのか。楽しみにしている。
今年、ツアー選手権は16回を迎えて大きな変貌をとげた。昨年14アンダーの優勝スコアは実に12打も悪い2アンダーだったことに注目だ。昨年は中国出身のリャン・ウエンチョン(梁津萬)が日本ツアー12年目で初優勝したときよりコンデションが悪い?いや好天に恵まれた。ただ、ちょっぴり風が強く、グリーンが乾いた。さらにここにもう一人、王子が登場したのである。シンデレラを求めてガラスの靴を用意したのがきっかけだった。
その王子とは青木功。ツアー機構の新会長であった。ガラスの靴ならぬガラスのコース、そう、選手を粉々にする、危険極まりない最難関コースをもってきた。
会長に就任したのが3月。初のメジャーを前に、強い決意と英断を敢行した。
「生ぬるいコンデションでやっていては日本のゴルフの先行きは暗い」といった。「世界の流れをみろ。タフなセッティング、タフなフィールド。厳しいコンデションを高い目標を持った技術、戦略でねじ伏せるコースでみんなたたかってほしい」といった。先頭立ってコースに繰り出すとこれまでにない世界基準の難度の設定に乗り出した。
18番のピンポジションは4日間を通し左端、池越えの17番は手前ピンに位置はかわらなかった。ただしティーは連日40ヤードを前後に振った。攻撃ゴルフを阻害するラフは大会直前に刈りこまれた。普通、ピン位置は前後、左右、4ポジションを移動したが、そんな基準は無視された。風向きとグリーンの形状、硬さをもって、その難易度を引き出した。「左端のピンに対して右からの風、グリーンは右傾斜で落ちてから右に転がる。さあ、みなさん、どう攻める?と私は挑戦しているんだ」大会前、青木会長は選手に集合をかけ決意を伝えた後、そう語った。そして、実行した。“12の差”はそうして生まれた。
ツアー選手権。ツアープレーヤーの日本一を目指す大会だ。世界仕様の超高難度のコース設定で行われた。日本ツアーで最も新しいメジャーは今年が新生、スタート元年だった。初代チャンピオンの塚田の伸びしろに期待したい。