日本代表メダル期待 リオあと1か月、片山、池田の1発に期待 女子、大山のやる気と野村には金メダルを 武藤のコラム


 リオ五輪のゴルフ代表は男子が片山晋呉と池田勇太、女子が大山志保と野村敏京に落ち着いた。
 代表に決まった、ではなく“落ち着いた”というところに、決定までの紆余曲折へのわだかまりと、それが収まった安堵の気持ちを込めたつもりである。いやあ、いろいろとあった。今後の課題も出てきた。

 本来、日本代表に座るはずだった松山英樹の代表辞退は、世界のトッププロがこぞって出場辞退という流れの中で決まった。112年ぶりに五輪種目に復活し喜びに沸いたゴルフだが、世界ツアーの過密日程、ジカ熱、多発するテロなどを辞退理由としトッププロの上位20人が集中して辞退して大会がいささかさびしくなった感は否めない。

 なんでこんなことになったか。初の南米大陸開催も裏目にでたのかもしれない。何しろコースはようやくできたばかり。プレ大会も開催されないままのぶっつけ本番である。ゴルフ復活のウキウキ感よりダイジョーブ、と心配―
 リハーサルもなしに舞台をつとめろ、といわれて俳優が何もできないように、ゴルファーもコースを知らなきゃ何もできない、イメージがわかないで困ったのではないか。ゴルフは自然との闘い。コースへの挑戦を人は400年、500年と続けてきた。伝統の大会はそうしたコースへの挑戦が選手のテーマだ。週末の競技のために週初めから何度もラウンドを重ねる。大会によっては100年余もそんな挑戦が続くのだ。ゴルフ復活は喜ばしいが、そうした歴史、精神的バックボーンへの配慮がなかった。

 ワールドランキングの上位者からオートマチックに選んだ各国代表の選出方法も無味乾燥な空気感を漂わせた。本来五輪代表は国内の選考会で決めるべきではないか。それでこそ国の代表としての愛着が出る、国旗を背負う意味も出てくる。それがプロの世界ランキングで代表を決めたために本来の意味や意義が薄れた。ましてアマの選出はのっけから不可能では大方の賛同は得られなかった。今回プロサイドからもこの不公平感へのブーイングがあったと聞く。20年の東京に向け大会規定を練り直す必要があるのではないか。参加人数、選考方法を国別に任せるとか、再考できないだろうか。

 とはいえ課題は課題としてオリンピックは楽しみだ。オリンピックの出場資格は既述の通り世界ランキングを基準に男女それぞれ15位までは1か国4人、それ以下は2名が参加資格を得る。男女それぞれ60人だ。日本の男子代表は片山と池田のベテランに落ち着いた。片山はゴルフへの意欲をそがれ精神的に落ち込んだことがあったが、五輪復活をモチベーションに復活した。リオが決定するとゴルフ界には、石川、松山を中心とした五輪チームがささやかれそのコーチに真っ先に上がったのが片山の名前だった。ツアー29勝、4度の賞金王。海外経験も豊富だ。しかし、わからないものだ。これが意欲につながると調子が戻り日本代表選手だ。池田もナショナルチームの中心として長くナショナルチームを引っ張った。プロとなり選手会長を務めリーダーシップもある。まさに五輪にふさわしい顔ぶれである。さもしい計算でメダルの可能性をはじくとマキロイ、スピース、アダム・スコットらが出ない分チャンスは多い。二人には十分チャンスがある。

 女子の二人は今回の五輪のシンボル的な存在。大山はアマ時代、日本女子アマ、日本学生を勝ったナショナルチームのエースとして五輪への思い入れは人一倍強い。プロ入りして16勝、常に前向きなプレーぶりは多くのゴルファーの手本だ。オリンピックには誰よりも早く出場宣言、誰よりも強いモチベーションで立ち向かい代表権を獲得した。
 野村敏京は父が日本人、母が韓国人。韓国で育ち高校時代、夏休み限定で日本にやってくると日本ジュニア、日本女子アマに毎年出場、力をつけた。高校を出て日本女子ツアーのテストを通り、国籍を日本に決め日本住まい。いまはアメリカを拠点に大活躍。今回の日本代表の座を射止めた。韓国勢のアメリカ、豪州、ニュージーランドへの留学、移住はもう当たり前だが、その日本版のプレーヤーである。金メダルの可能性を秘めて楽しみである。

 
武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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