谷原よ 驚きと感動をマスターズでもう一回 武藤一彦のコラム


 「練習ラウンドも入れ今日で9ラウンド目。もうメンバー並みですわ」米ツアー、世界選手権シリーズ「デル・マッチプレー選手権」で谷原秀人が殊勲の4位に入った。5日間、7ラウンド。4人で争うグループ予選でジョーダン・スピースらを破り、たった一つの枠をクリアし臨んだトーナメントで次々と強豪を下す世界4強入りの大快挙だ。

 

 26日の準決勝では世界ランキング1位のダスティン・ジョンソン(米)に敗れ3位決定戦はジェイ・ハース(米)に逆転を許し2アンド1で敗れたが、最大目標にあげた2週後のマスターズの出場権を手にし、4位賞金54万4000ドル(約6000万円)を獲得、今季の条件付きシード権も取得した。優勝争いは32歳のジョンソンがスペインの22歳、ジョン・ラームに1アップで勝ち世界選手権シリーズのタイトルを一手にする“シリーズスラム”を達成した。

 

 ダスティン・ジョンソンとの準々決勝戦7番パー3、谷原の8アイアンのショットはグリーンをゆっくりと転がるとカップに沈むホールインワン。勢いに乗った9番は相手のミスで2アップと好スタート。米ツアー通算44戦目、マスターズの出場資格のない無名選手の大活躍がギャラリーを驚喜させ感動の渦に巻き込んだ。3位決定戦も中盤まで谷原ペースだった。

 

 遅れてやってきた大物だ。東北福祉時代は星野英正の次の主将を務めたが、学生の個人タイトルはなし。プロ転向後も大学の後輩、宮里優作、池田勇太、さらに松山英樹の活躍で14勝も挙げながら影は薄かった。米ツアーに挑んだ05年、シーズン通して20戦、しかし、大きな飛躍はなかった。06年、全英オープンに日本ツアー枠で出場、5位に入った。07年のマスターズにはその実績が買われ招待状が舞い込み出場したが予選落ち、大飛躍にはつながらなかった。

 

 転機は昨年、日本プロなど自己最多の3勝を挙げ、賞金ランク2位となって訪れた。オフに豪州・オセアニアツアーに参戦、ニュージーランドオープンで2位になった。好調なパットが要因となった。「曲げず、慌てずグリーンに乗せれば何とかなる。そんな自信が芽生えてきた」シーズン初めの日本プロ優勝のとき珍しく強気。その言葉を裏付けるように飛ばし屋軍団のドラコン王に弟子入り、飛ばすゴルフへの変身を試みるとゴルフが大きく変化した。「肩の回転を大きくするとスイングアークが安定した。ワンテンポで上げて振り切ることができ、特にアイアンが良くなったね」自信が芽生えた。

 

 マスターズ出場へワールドランク50位以内を目標に谷原の冒険がはじまった。昨年末は、10月開幕の米ツアーとアジアを転戦、年明けにはハワイの「ソニーオープン」など7か国を息もつかず渡り歩いた。苦労は報われた。マスターズまであと1週、あきらめかけた最後のチャンスをものにした。

 

 「みんなが喜んでくれたらしいけど、誰が一番喜んだって、それは決まっているでしょう」勝っておごらず負けてへこたれず、16年のプロ生活を華やかに極めた38歳だ。苦労人と呼びたいが、その体力、気力に支えられたスイングの若さは只者ではない。晴れ舞台、2週後のマスターズでは、驚きと感動を。もう一回。

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

最新のカテゴリー記事