ガルシア、ローズの好勝負に沸いたマスターズ。11位、松山英樹はいい経験をした 武藤一彦のコラム


 2017年メジャー第1戦「マスターズ・トーナメント」(4月6-9日・オーガスタナショナル)はスペインのセルヒオ・ガルシアがイングランドのジャスティン・ローズとのプレーオフを制し初優勝を飾った。史上に残る好ゲームだった。

 

 第3日を終わって6アンダーに並んだ激戦。ともに3アンダー69、通算9アンダーで迎えたプレーオフ1ホール目、ローズがショットを乱しボギーのあと、ガルシアは2メートルのバーディーパットを沈めメジャー74戦目にして初めて優勝した。スペイン勢の優勝はバレステロス(1980、83年)オラサバル(94,99年)以来19年ぶりだった。
 松山英樹は最終日ベストスコアタイの67、28位から急上昇し、米国のスピース、ファウラーとともに11位と面目を保った。メジャー第2戦「全米オープン」(6月15-18・エリンヒルズ)に期待がつながった。

 

 37歳ガルシアと36歳ローズ。ローズが1打リードして迎えた15番、2オンに成功したパー5、ガルシアが5メートルのイーグルパットをねじ込んでローズに並ぶ9アンダー。16番パー3はローズが先に2メートル半を入れるバーディで10アンダーと再びリード。だが、ローズは17番、ティーショットを右ラフに入れボギーとして並ぶ。
 一進一退ままもつれ込んだプレーオフ、第1ホールの18番だ。ローズは右林方向へ。セカンドショットは高く打てず3オン。フェアウエーをキープしたガルシアは得意のアイアンでピン上2メートル。その瞬間、ローズは左親指を立てるとガルシアに向けそっと差し出した。「いいショットだ」と心からのエールを送った。2人だけにわかる心の会話だった。

 

 ガルシアは19歳でマスターズのローアマになり“神の子”と呼ばれ、ローズは17歳で全英オープン4位の逸材。だが、鳴り物入りした二人のプロ生活は順風とは言えなかった。ローズはプロ入り直後、21戦連続で予選落ち、“悲劇のヒーロー”の烙印がついた。30歳の声を聴きようやく欧州の賞金王、11年には全米オープンでメジャー初V。さらに昨年、五輪に復活したリオ五輪で金メダリストに輝くと俄然、輝きを増した。

 

 ガルシアは、米ツアー9勝をあげバレステロスと並ぶスペイン勢の最高勝利数。だが、メジャーは全英、全米オープン、全米プロはすべて2位、マスターズは4位が最高とあって”メジャーに弱いプレーヤー”の烙印が付いた。
 原因はパットのイップスだ。手が思うように動かなくなる“ゴルフ特有の病い”は、ガルシアをさいなみ、見るものに目を背けさせて重症だった。

 

 この日も勝負所で何度もグリーン上、ピンチが訪れた。目がうつろになり背がみるみる丸くなった。プレッシャーが観客に伝わると雰囲気も堅くなる。大半のパトロンがガルシアの苦悩を察知してかたずをのむと、それがガルシアに伝わった。ローズの親指は、そんなガルシアへの励ましではなかったか。
 2メートルのウイニングパットはカップを割った。二人は堅く抱き合った。パトロンたちは総立ちで拍手を送った。

 

 マスターズはこれで昨年のイングランド、ダニー・ウイレットに次いでヨーロッパ勢がの連勝だ。3位には11年の大会チャンピオン、南アのシュワーツェル、4位にはイングランドのケーシー、そして初出場デンマークのトマス・ピータースのトップ5入りには舌を巻いた。世界は広い。
 松山はショット不調のまま入り初日4オーバーの出遅れが最終日まで響いた。まだ25歳。10歳以上も年上のガルシア、ローズに何が劣ったのか、と自問することもない。まだまだ力不足、キャリア不足だった。不成績をあまり気にせずじっくり力をためていきたい。そのうちに心から親指をそっと立てるライバル、立てて差し出せる好敵手が出てくるだろう。

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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