松山のペブルビーチの全米オープン 武藤一彦のコラム


 松山英樹の自己7回目となる全米オープンは2アンダー21位に終わった。第119回「全米オープン」はカリフォルニア州のペブルビーチゴルフリンクス(7075ヤード、パー71=35,36)で行われ、初日2アンダー69、16位の松山だったが、2日目73で32位、第3、最終ラウンドは70の4日間通算2アンダーの21位に終わった。優勝争いは35歳のゲーリー・ウッドランド(米)が第2日に65のベストスコアで首位に立ち主導権を握り、最終日、ジャスティン・ローズ(英)ブルース・ケプカ(米)との激戦を4バーディー、2ボギーの69、通算13アンダーで逃げ切り、メジャー初優勝を飾った。2位は、大会3連覇を狙ったケプカで3打差、ローズは7アンダーの3位タイに終わった。注目のタイガー・ウッズは松山と同じ21位。今平周吾、市原弘大、初メジャーの堀川未来夢は予選落ちした。

 

 波に乗りかけては後退した。首位に4打差と好スタートを切った松山は第1ラウンド、14番パー5でチップインのイーグルが出るなどいいムード。ボギーも出るが,バーディーを量産して安定して見えた。第3ラウンドは4番から3連続バーディーでリーダボードに名前が載った。だが、深いラフとグリーンに苦しんだ11番ではラフからラフを渡り歩き3オン、最後80センチを外す3パットのダブルボギーと追い上げの芽をつんだ。
 ドライバーの飛距離は300ヤードを超えトップ30位。しかし、フェアウエーのキープ率が60%を切って“ラフの餌食”となった。グリーンを外したあとパーをキープするスクランブリング率で上位を占め、グリーン周りには定評のある松山だが、リンクス特有の全方向に刃先を伸ばす独特のラフに最後まで手を焼いた。

 

 集中力が高まる最終日、平均ストロークで高率を誇る最終日も5番203ヤードのパー3でバーディーと調子が上がった直後の6番パー5だった。ティーショットを左へ曲げ、ラフを渡り歩き5オン3パットの8は痛かった。
 4月からパットのスタンスを徐々に肩幅に狭くし、グリーン上、リラックスして見えた。超ワイドのスタンス幅でアドレスして後に両肩をもぞもぞと、気持ち悪そうに動かす動きは影を潜めた。しかし、集中力を問われるショートパットでミスが多かった。スタンス幅を変えると、構えて見えるアドレスでの“景色”が変わるといわれる。もう少しなれるのに時間が必要なのかもしれない。

 

 ペブルビーチでの全米オープン。日本人最高のジャンボ尾崎の93年の23位を上回る21位はさすがと言いたいが、メジャー制覇を目指す松山としては意味のない記録だ。同コースでは「AT&Tペブルビーチプロアマ」の前身、「ビング・クロスビー・ナショナルプロアマ」で新井規矩が1985年、”ミスター・ぺブルビーチ“と異名をとることになるマーク・オメーラ(米)と最終日、最終ホールまで同組で競り合って2位と惜敗している。そんなシーンを今回、松山には期待したが、いいところなく終わった。3週後の全英オープンを待つしかない。

 

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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