石川遼(27)が伝統の日本プロゴルフ選手権で復活優勝。悪天候のため、1日36ホールを強行した最終日の7日、鹿児島・指宿GC、7150ヤード、パー70で行われ、黄ジュンゴン(韓国)とのプレーオフの第1ホール、石川が4メートルのイーグルパットを沈め優勝した。日本メジャーは15年の日本シリーズ以来2勝目。ツアー優勝は16年、「RIZAP KBCオーガスタ」以来3年ぶりでツアー15勝目。中断した世界挑戦に向け、2度目賞金王と五輪代表も視野に入って今後が期待される。
プレーオフ第1ホール、18番パー5。石川のティーショットはドローを描きながら右サイドのカートパス(カート用の道)をはねフェアウエー中央に飛んだ。5アイアンの第2打はピンハイ4メートル。絶好のイーグルチャンスに付き、黄が15メートルを外す緊張のしじまの中、カップ真ん中を割った。天をかきむしり叫ぶ石川。両手を上げ、声を放ち、喜びをはじけさせた。
15番を終え黄14アンダー、石川11アンダーの3打差と大差がついた16番、石川が6メートルを入れるバーディーで12アンダー。それでも2打差がついていた。その直後の17番パー3。石川は7メートルにつけた後、黄のショットはグリーン手前へ。止まりかけた次の瞬間、傾斜を戻りゆっくりと池に消えた。そして、続く1メートル半のボギーパットも外すダブルボギー。あっという間に並んだ。最終ホールのパー5はともに2オンに成功、バーディーでプレーオフへもつれ込んだ。
そのグリーン上。「37ホール目。決めたラインを信じ、しっかり打てた。最後右に曲がってくると信じて打った。手前から右へ曲がりだして入った」“信じられない”を連発した。37ホール目を意識して集中した。「ここのところ決めたことが実践の中できちんとできていなかった。結果でしか皆さんに喜んでもらえないと集中した。しっかりできた」笑顔と泣き顔が瞬時に何度も交錯した。
石川遼らしい復活劇だった。66,67,71,66、プラスプレーオフの1ホールにすべてが凝縮した。第87回、日本プロチャンピオンは季節外れの梅雨に振り回されたが、どろどろの中から這い出してきた。たくましさが際立った。
1日36ホールといえば15歳の07年5月、岡山・東児が丘マリンヒルズGCのマンシングウエアKSBカップの初優勝と同じ舞台設定だ。あの時も最終日は36ホール、その最終ホール、15ヤードのバンカーショットを長いランの末、ピンに音を立てて入れて奇跡をやってのけた。
あれから丸13年―。
「第3ラウンドで連続ダブルボギーがあり一時は7打差も開いた。途中で僕は勝てないと思った人もいたと思うけど信じて1打1打やっていこうと耐えた。(不振で)長くできなかったことがやれた。やれることを実感し、いい経験をした。ここにこうして立っていられる。戻ってこれました」地面を何度も踏みしめ繰り返した。
プレーオフ。忘れもしない。昨年末のゴルフ日本シリーズ(東京よみうりCC)は小平智とこの日の相手、黄との3人プレーオフで最難関の18番ホールのパー3をボギーとし小平に名を成さしめた。
1歳下の黄は石川の15歳に次ぐ、19歳の日本ツアー二人の10代チャンピオン。何かと縁がある2人にはこの日、石川にはグッドラックが、そして黄にはバッドラックがあった。
黄の運のなさは17番の池に入れたダブルボギーだ。池に入った球は傾斜の上で一回止まり、次いでゆっくりと動いて池に転がり込んでしまった。石川の良運はプレーオフの18番、ティーショットが右カートパスを跳ね20ヤードも先に行ったことだ。おかげで、5アイアンで6メートルに付けることができた。正規のラウンドでは245ヤードもあったのがプレーオフでは5アイアンだ。「カートパスの奇跡」と記憶に留めよう。
昨年の日本シリーズのプレーオフ、石川のパーパットは強い半月形のスライスラインを描き、カップをかすめたが、入らず、天を仰いだ。その瞬間、復活は遠のいた。
石川は、この日のホールアウト後、感慨にふけった。
「長かったな。10代の頃と体が変わって無理がきかず4月の中日クラウンズで腰痛棄権はショックだった。心を入れ替えその後良いトレーニングをし、体を鍛えなおした。信じられない悪天候を初めての指宿でやれた。自信になった」。体力強化で見違える体とショットの切れが生まれた。新生・石川を感じさせるプレーが随所に出た。
クロスハンドパットに、もともと一番手になじんだL字パターでの復活優勝。細かい技術にも熟練がのぞく。指宿といえば、かつて太平洋マスターズ。ダンロップフェニックスと共に秋のシーズン末を飾るインターナショナル3連戦の主要舞台を81年から04年まで務めた。トレビノ、ランガー、ライル、マイズ、そして青木が2勝、タイガーウッズの日本デビュー戦の舞台にもなった。待望の石川復活にまさにふさわしい舞台となったが、初体験が幸いしたと推測する。もともとは天才的なイマジネーションを持っている。今回はぶっつけで試合に臨み、余計な雑音はなし。もって生まれた天与の才能が頼りだったとみる。15歳の感覚がよみがえったとみる。奔放さを忘れないでほしいものだ。
1926年、日本最古のプロ競技としてスタートした大会は大正と昭和が12月26日に入れ替わった年に始まって87回目。令和元年、初のチャンピオンに石川の復活劇の舞台となった。時代は石川と共にまたも動き出した。