渋野日向子全英優勝 武藤一彦のコラム


 4パットのダブルボギーにめげず、最終18番で6メートルのウイニングパットを決めプロ入り1年目の20歳、渋野日向子が、日本女子ゴルフ界に2つ目のメジャータイトルをもたらした。今季最後の女子プロメジャー第43回「AIG全英オープン」(英・ウオーバーン&CC、6756ヤード、パー72)の最終日、14アンダーの首位スタートの渋野は4アンダー68、通算18アンダー、2位のサラス(米)に1打差で優勝を飾った。1977年、樋口久子の「全米女子プロ選手権」以来42年ぶりに日本にメジャータイトルの快挙となった。

 

 渋野の世界的には全く無名の初メジャー「全英女子オープン」制覇は、ゴルフ史上まれにみる波乱から生まれた。10メートルの第1パットが2メートルオーバー、返しも入らずカップの左を抜けて同じ距離を残した3番。そのあと同じ長さの2メートルも外す4パット。14アンダーの首位でむかえた渋野の3番グリーン上は目を覆いたくなる惨状を呈した。
 堅い表情、頬がひきつった。帯同の青木キャディーも声なし。2組前のサラス(米)が1、2番をバーディー、わずか3ホールで追いつかれた。
 何があってもおかしくないゴルフだが、4パットは精神的に立ち直りにくい最悪の自滅ケース。アウトを37で折り返したが、サラスに首位を明け渡し今季メジャー2勝の高申栄(韓国)らもにわかに勢いづき一時は5人が首位に並ぶ混戦となった。

 

 だが、第1、第3ラウンドと30をマークした相性の良いインで立ち直った。10番5メートルを入れるバーディーで追撃に入った。圧巻は12番303ヤードの短いパー4、迷わずワンオン狙い右サイドの池の上を果敢にドローで狙った。ドライバーを振り切った直後「アッ」と声を上げ、きわどかったが、球は池ぎりぎりグリーン右エッジ、事実上のワンオン、難なくタップインで寄せバーディーをとった。その後、難易度ナンバー1の13番、5メートル、15番パー5、2メートル半を入れるバーディーで17アンダー、サラスと並び首位に返り咲いた。

 

 16番、日本から持ち込んだ好物の「よっちゃんいか」をむしゃむしゃ食べ笑顔が戻った。16番、寄せワン、17番6メートルを入らずパー。そしてサラスがプレーオフに備えパットの調整に入った直後の18番、渋野は6メートルのウインイングパットをねじ込んだ。このホール、距離があったが、2組前のサラスが1メートル半を外した同じライン。「下り、逆目のややスライス」と読み、「しっかりオーバーすることだけ考えて打った」カップを目指す球を追って左手のパターを突き出すと球はカップに消えた。同組のブハイが手をたたき駆けよって2人は抱き合った。すがすがしい新人の世界制覇をメジャースタンドのギャラリーが総立ちで祝った。

 

 1977年、樋口久子の全米女子プロ選手権以来、42年ぶり。樋口は米ツアー参戦8年目だったが、話題の黄金世代、渋野が日本の公式戦「ワールドレディスサロンパス」で初優勝を挙げたのが20歳178日の5月、その3か月後に今度は世界を制した。黄金世代、その下のプラチナ世代は、先駆者の知恵と実績をバックにかつてないスピードで目記名と成長している。
 勝因は勢いに乗った流れをとめなかったことだろう。8歳でソフトボール、ゴルフを始め岡山・作陽高2年までは2足の草鞋、ソフトボールが主,投手だった。「打たれて悔しい思いをしたが、いつまでも引きづっていてはいけないと切り替えは早かった」という。4パットしてもあきらめず粘り抜いて勝利を呼び込んだ。米ツアー賞金女王の岡本綾子も同じ投手出身。ソフトボールで身に付けた心技体、経験はゴルフにすべて注ぎ込まれて成功した。
 高2でゴルフ一本に絞り昨年7月のプロテスト合格。繰り出すショットは切れがある。アドレスすると両肘がくっつきそうになる〝サル腕“は腕が返りすぎる、マイナス材料ともいわれるが、渋野は両手を一本に使い、利点に置き換えドライバー、アイアンとも力強く、安心してみていられる。自信をもって今の大きくシャープなスイングアークを磨きいてもらいたい。

 

 開催コースのウオーバーンは定番のリンクスではなくインランドコース(内陸)での開催となったことは初出場の渋野にとってはプラスに働いたとみる。海岸の固く乾いたリンクスとは違い内陸のコースは大木が繁る林間コースで“海外初心者”の渋野にとっては戸惑いがなかったのはラッキーだったかもしれない。特にパッティングは出場選手中、だれよりもしっかり強めに打っていた。恐れず臆せず、初体験を「私なんかでいいのでしょうか」と遠慮がちに楽しみながら好奇心丸出し。笑顔いっぱいで快くサインに応じたり、ハイタッチしたり「スマイリングシンデレラ」は伸び伸びとふるまえた。既成のシンデレラ物語は意地悪な継母やその姉妹たちからのいじめがテーマだが、渋野は違う。自ら飛び込んだ道、選んだ道だ。いまいきいきと笑顔で歩み始めた。良いストーリーの物語が始まった。

 

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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