新生、石川遼の復活劇が始まった 武藤一彦のコラム


 石川遼(27)が日本ツアー10戦目の「「長嶋茂雄招待セガサミーカップ」(北海道・ザ・ノースカントリー・ゴルフクラブ、7178ヤード、パー72)で20アンダー、2位に4打差、初日から首位を走る完全優勝を飾った。9戦目の7月、鹿児島・いぶすきGCで開催の「日本プロ選手権」に次ぐ2戦連続優勝で今季2勝、通算16勝、賞金ランキングで8年ぶり首位に立った。

 

 7月の日本プロ選手権は南国・鹿児島で土壇場の逆転優勝。その1か月後、今度は、北の大地で1度も首位を譲らず完全優勝。その間日本ツアーは約1か月間の夏休みがあったが、石川の復活劇。待ちに待った、完全復活。日本オープン、日本シリーズとシーズン末に向け10年ぶりの賞金王も見えてきた。

 

 3打差リードで迎えた最終日、1番、5番とグリーンエッジからチップインバーディー。後半は強風とプレッシャーに戸惑いながら好調なアプローチとクロスハンドが定着した、平均パットランク2位の安定したパットでしのいだ。インはワンオン狙いの17番パー4が光った。この日は実測280ヤードと向かい風の中さらに狙いやすく設定されていたが、前日に続きこの日もショートアイアンでティーショット、セカンドでピンを目指す手堅さをみせ、「これが遼か」と目を疑わせた。かつての想像力を思いのままに全面に出す攻撃的ゴルフは全く影を潜めて驚かせた。

 

 静かなる男への変貌。実は妻の母が大会初日に50代の若さで亡くなった。さらに、いつもは表彰式にいる長嶋茂雄・大会会長が体調をはばかって今回は会場に姿を見せなかった。そんな状況を敏感に感じない石川ではない。戦う姿を思うままに見せられないのかとここは推測できたが、そんな状況の中、石川の戦う姿、戦い方に変化が出たと見る。

 

 北の大地は石川の第2の故郷である。千歳市には世界を目指すと決めた直後の8年前に別荘を建てた。ベントの洋芝がある北海道は世界制覇を目指す拠点。心は常時米制覇。今回は北海道での4勝目である。

 

 ホールアウト後の記者会見。「挑戦する気持ちでしっかりとマネージメントし刻むところは刻んだ」といった。同週、アメリカは18~19シーズンの最終戦「ツアーチャンピオンシップ」が行われ、善戦する松山を意識してこんな談話も残した。
 「英樹(松山)も頑張っているので、英樹とゴルフでも勝負できるように頑張りたい。一緒に回るのは恥ずかしいという時期もあったが、そういう思いが湧いてきているのは変化かな」とも。かつて自らが火をつけた同い年の争いは心ならずもライバルに2歩も3歩もおいていかれて差がついて久しいが、いま挽回に向け突き進む意欲を見せ始めた。
 その翌日の26日、「ツアーチャンピオンシップ」最終日、松山はトップ10入りの9位と最終戦で結果を残し、優勝したのは3歳上、30歳のローリー・マキロイ(北アイルランド)。石川の心の内に次なる目標となる世界がくっきりと浮かび上がって機は熟した。

 

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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