金谷やったアマ優勝、劇的快挙 武藤一彦のコラム


 アマの意地がプロのそれを上回って金谷、世界へ羽ばたくアマ優勝

 

 「三井住友VISA太平洋マスターズ」最終日(静岡・太平洋御殿場、7262ヤード、パー70)、単独首位でスタートしたアマの金谷拓実(かなや・たくみ、東北福祉大3年、21歳)は1イーグル,6バーディー、3ボギー、この日のベストスコア65、通算13アンダーで並みいるプロを尻目に堂々のアマ優勝を飾った。首位で並んだ18番のイーグルパットをいれる劇的な逆転勝利だった。日本ゴルフ史上アマ優勝は1926年第1回「日本オープン」の赤星六郎、80年「中四国オープン」の倉本昌弘、07年「マンシングウエアオープンKSB杯」の石川遼、さらに11年、今大会の松山英樹以来、5人目の快挙。東北福祉大は松山に続き2人のアマチャンピオンを同一大会で誕生させる快挙を達成した。

 

 南アのショーン・ノリス。188センチ、100キロの大男がひ弱に見える見事な逆転劇だった。最終ホール、11アンダーで並んだ金谷の7メートル、鮮やかなイーグルパット。ボールはまさに小動物が巣穴に飛び込むように嬉々としてカップのど真ん中から飛び込んだ。
 16番、金谷が12メートルのスライスラインを決めるバーディー。直後ノリスは11メートルのフックラインを入れかえし、リードを守った。だが、17番パー3、ノリスがバンカーショットをミス、スキを見せ二人は並んだ。
 最終ホール。金谷の2オン狙いのショットは手前池にあわや捕まるかというきわどさだったが、グリーンをとらえた。しかし、ノリスはティショットを豪快に飛ばし約180ヤードを7アイアンでグリーンオーバーさせるパワーを見たあとだ。誰が金谷の勝利を確信しただろう。ノリスはマウンド越えのアプローチを絶妙のパターで寄せバーディーチャンス。その直後の金谷のイーグルパットだった。7メートルの距離のある複雑な傾斜のラインだった。

 

 アマの意地がプロのそれを上回って名勝負。爽やかで史上に残るいい決着となった。2人のマッチレースはアマとプロ。立場の違いがはっきりと分かれて好プレーを引き出す舞台は整った。ノリスは勝とうが敗れようが優勝賞金4000万円はほぼ手中。これで日本ツアーの賞金王争いに割って入って気持ちよく日本シリーズを戦える。アマの金谷は勝てば快挙。力を出し切る状況は整っていた。2人のゴルファーだけの世界があるだけだった。
 金谷のそれは前夜、電話で届いた先輩、松山の〝ゲキ“だったのだろう。「勝てよ。勝って俺をこえろよ」と松山はいった。”アマの意地を見せろ、それはきっとお前の将来に役立つぞ”―信頼する先輩のお墨付き。期待に応えようと、この日を乗り切る命綱となった。グリーン上、空を殴るようなガッツポーズのあとの表彰式で言い切った。「松山先輩。勝ちましたよ」―。この日、日本ゴルフ界は将来に向けた大きなパワーをむんずとつかみ取った。

 

 日本ツアーは最後の日本シリーズに向かって思いもしなかった流れができた。金谷の最終戦出場である。日本メジャーの最終戦にこの勢いをぜひぶつけてメジャー優勝も夢ではない。楽しみだ。

 

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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