プレジデンツカップ 武藤一彦のコラム


 男子ゴルフの世界選抜対アメリカ選抜の対抗戦、「プレジデンツカップ」は15日、豪州のロイヤル・メルボルンGC(パー71)で最終日のマッチプレー12試合を行い、アメリカが6勝3敗3引き分け、4日間通算ポイントを16対14で下し8大会連続、11度目の優勝を飾った。大会は2年に1度行われ、松山英樹を擁する世界選抜は10対8とリードして迎えた最終日、19年ぶりの優勝が期待されたが、この日3勝6敗3引き分けで逆転を許し98年以来の優勝は成らなかった。

 

 43歳、プレーイングキャプテンのタイガー・ウッズは第1試合に登場、メキシコのエブラハム・アンサーを3エンド2と手玉に取ると、パトリック・リード、ダスティン・ジョンソンのメジャーチャンピオンが台湾のパン、韓国の李に圧勝、今年の全米オープン優勝のウッドランド、ジャスティン・トーマスが敗れ苦戦しながらも層の厚さと余裕を見せた。
 優勝が決まるとタイガーはアシスタントとよばれる“支援コーチ”のフレッド・カプルス、ザック・ジョンソンらと抱き合い「みんなよくやった。個々の選手の力を信じていた」と目を潤ませた。今年は東京で米ツアー82勝も達成し、今回は初めてキャプテンという重責だったが、と問われ「大きなチャレンジだったが、みんなで築いたことだ、本当にうれしい」と再び歓喜の渦に飛び込んで抱擁を重ねた。
 世界選抜は惜しいチャンスを逃した。第2試合に登場の松山は、米の飛ばし屋、トニー・フィナウに9ホールを終わって4アップと大差をつけ優勝に向け好ダッシュ。しかし、インで追いつかれ16番のバーディーで再びリードしたあと、17番で3パット、引き分けに持ち込まれた。大会は13回に及ぶが、世界選抜が優勝したのは98年大会の一回限り。03年には引き分けがあるが、圧倒的にアメリカ有利な状況は、波に乗れない世界選抜の“もたつき”がある。松山のプレーにもそんなもどかしい側面が出たようでもったいなかった。

 

 実は98年大会、筆者は同じロイヤル・メルボルンの大会で世界選抜の優勝を現地取材している。大会はアメリカがニクラウス主将、ミケルソン、カプルス、デュバル、そのなかに初出場のタイガーがいてアメリカ有利。だが、ふたを開けるとエルス、ノーマンをのぞくと日本の丸山茂樹、尾崎直道、ニュージーランドのノビロ、パラグアイのフランコと世界的にはどう見ても力不足の面々が伸び伸びと戦った20.5対11.5と圧勝した。勝因は地元、豪州の名将、全英オープン5回優勝のピーター・トムソンと日本ツアーでもおなじみのクレイグ・パリー、エルキントン、アレンビーらの豪州勢の存在だ。“どう見ても格が違うメンバーで大丈夫か”というぶしつけな質問に、トムソン以下豪州の面々は笑いながら言い放ったものだ。「アメリカ野郎にここロイヤル・メルボルンの風と芝を読み切れないって。まあ見ていろ」-超然と構えていたものだった。
 大会はその通り世界選抜の圧勝となった。ダブルス戦、地元パリーとダブルスを組んだ丸山はシングルスの勝ちも含め5戦5勝。アメリカ選抜のタイガーは4戦して2勝2敗。丸山はパリーの読み通りに打ち、パットを決め最優秀選手賞に選ばれ、プロ2年目、当時22歳のタイガーはうなだれた。ちなみにプレーヤー兼主将で優勝したのは94年第1回大会のヘイル・アーウイン以来2人目。タイガー43歳。新たな時代が幕を開けた。

 

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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