コロナ禍直撃 再開初戦の松山は予選落ちの大苦戦 武藤一彦のコラム


 PGAツアー、再開第2戦「RBCヘリテージ」(サウスカロライナ州、ハーバータウンゴルフリンクス、パー71)は21日、最終日を行いウエブ・シンプソン(米)が7アンダー64、通算22アンダーのトーナメント記録で優勝、通算7勝目を挙げた。一方、ツアー再開初戦で注目の松山英樹は予選ラウンドを2オーバーと大苦戦、予選落ちの憂き目にあった。

 

 コロナ禍の影響で無観客、ハイタッチ禁止、クラブハウスのレストランはクローズ。「大会はまるで練習ラウンドのように静かだった」と振り返ったのは英国のジャスティン・ローズだ。4年前のリオデジャネイロ五輪の金メダリスト。本来ならこの時期、東京五輪を1か月後に控え2連覇を目指している頃だが、境遇の変化の戸惑いがあった。同じことは五輪があれば日本代表確実だった松山にも言える。結局、予選ラウンド、気合が入らずいつもの冴えはまったくといっていいほど見られず、初日3オーバーパーと出遅れ、2日目に追い上げるもわずか1アンダーの70、通算2オーバー。いいところなく敗退した。

 

 「パットのライン読みを反対に読んだり、ショットも練習では左に行っていたのが本番では右に曲がってしまうなど、どうしようもなかった。試合をしながら感覚を研(と)いでいくタイプ。しばらく時間がかかるだろうが、我慢するしかない」とあきらめ顔、さらりとかわそうとするが、落胆は表情から明らかだった。パットの反対読みとは、スライスと読んだのにフックラインだったというプロにあるまじきミスである。復活に向け、松山、大ピンチと言い切ろう。

 

 3月15日のフロリダ・TPCソーグラスの「プレーヤーズチャンピオンシップ」。松山は気合を入れて臨みインスタートの初日を33、アウトに入った後半は最終ホールをイーグルとし9アンダーの断トツ首位。さあ、これからと気張った第1日終了後、コロナ禍の感染拡大を受けて試合は打ち切られた。運不運は付き物のゴルフ、コロナウイルスは人類すべての災厄、あがいてどうなる、と言いながらその顔には悔しさがにじみ出ていた。動揺が今後に尾を引かなければいい、と懸念したが、今回のリスタートの失敗は見過ごせない。

 

 ヘリテージに松山がエントリーしたと聞いたとき、「ええっ!」と驚いたものである。大会は例年、マスターズの翌週開催、松山も6年ぶりの出場だった。米の自宅フロリダの隣りのサウスカロライナ州開催という近さとコロナ禍による環境の変化による試合減で実践を求めての出場だった。出場した理由の第一は開催コース、ハーバータウンGLは、松山の尊敬してやまないニクラウス設計だったことが挙げられる。ヘリテージ(先祖伝来のもの)という大会名にもあるように大会は米南部のこだわりの大会。実際にはスコットランドでリンクスを学んだピート・ダイとの共同設計、中西部オハイオ出身のニクラウスとダイが東海岸こそ米ゴルフの発祥の地とばかり、肝胆相照らし、同調してできたコースはアメリカにとっても格別の意味があった。
 ここからは憶測だが、松山が今回、6年ぶりに大会に出場したのは、そんなニクラウスとダイへの松山の思い入れ、と踏んでるが当たらずとも遠からず、と思っている。

 

 強い闘争心こそ松山の支えとなる。、闘う心を信じて米ツアー5勝をあげ、ワールドランキングトップ5以内を長く維持した。終わりのないコロナ禍の最中、よりどころは、その心の中にあり。闘い抜く姿を見せてほしい。

 

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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