怒れ松山!BMWチャンピオンシップ語り継がれる名勝負 ラーム対ジョンソンの争い 武藤一彦のコラム


 米ツアー、プレーオフシリーズの「BMWチャンピオンシップ」(米イリノイ州、オリンピアフィールズCC、パー70)最終日は、史上に残る波乱の結末となった。ジョン・ラーム(スペイン)とダスティン・ジョンソン(米)がプレーオフで争い、サドンデスの1ホール目、ラームが18メートルのロングパットをねじ込み優勝とドラマチックな展開は史上まれにみる激戦として長く語り継がれることだろう。

 

 アンダーパーは上位5人だけ。難コースは堅いグリーンと深いラフ、巨木に覆われた空中のペナルティーが好スコアを阻み混戦。ラームは正確無比のドライバーでただ一人ボギーなしの5バーディー、65のベストスコア、4アンダーでホールアウト。その時点で2位に2打差をつけプレーオフに備え練習場でウオームアップしていた。
 「ゴルフは何が起こってもおかしくない。だが、18番でダスティンが10メートルのバーディーパットに乗せたと聞いたとき、正直、やったと思った」という。上って下り右に曲がるラインだ。だが、ジョンソンは上って下り、スライス、さらにフックする難関をバーディーで追いついた。

 

 18番から始まったプレーオフの第1ホールだ。ラームは右ラフ、直接ピンを狙えずグリーン中央を狙ってようやくオン、「距離は20ヤード」(約18メートル)」。ジョンソンはフェアウエーからピンそばを果敢に狙い、その内側、約10メートル。サドンデスプレーオフは長時間に及びそうな気配濃厚だった。その直後だ。グリーン中央、ラームの打った球は左から右の大きなカーブを描き、グリーン中央のこぶを越えると、直角に右へ方向をかえピンを目指し最後フックして立てたピンに音を残して潜り込んだ。バーディー。右手を握りつきあげるガッツポーズで吠えるラーム。ジョンソンのパットはピン20センチ手前で止まった。

 

 世界ランク1位のジョンソンと2位ラーム。今大会70人の出場者を30人に絞るプレーオフシリーズ。意地と意地のぶつかり合いはラームに軍配があがったが、第3ラウンドでこんなことがあった。5番ホール。アプローチを奥から1メートルに乗せたラームはグリーンに上がると、やおら球をひろいあげた。完全な勘違いだった。「グリーンに上がったときマークを落とし、拾ってポケットにしまった一連の動きでグリーン上の球をマークした、と感違い」。マーキングのミスで1打罰を受けた。ラウンド中の選手は想像以上の興奮状態なのだろう。だが、ラームはミスをミスとして冷静に対処していた。「このペナルティーを負けの理由にせず頑張っていこう」と心に誓っていた。世界1位のジョンソンの前に一時は失いかけたタイトルだったが、災い転じて自力で福に変えた。スペイン舞踊は怒ったように踊れ、といわれるが、セベ・バレステロス、ホセ・マリア・オラサバル、そしてラーム。次々と生まれ出るスペインの名手たちは一様に怒ったようにプレーしている。
 初日首位スタートの松山は2日目3位、3日目再び首位タイ、2打差の3位と惜敗した。が、プレーオフシリーズ7連続出場はツアーでわずか2人しかいない偉業だ。ここは、怒りを露わに、もっと猛々しく次週、「ツアーチャンピオンシップ」(ジョージア州イーストレイクGC)で米ツアー6勝目をもぎ取ってほしいものだ。

 

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

最新のカテゴリー記事