松山の復活に光明が見えた 武藤一彦のコラム


 米男子ツアー、伝統の「ヒューストン・オープン」は8日、米テキサス州・メモリアルパークGC(パー70)で最終日を行い、松山英樹は7バーディーの63、首位と2打差の2位に入った。今季初のトップ10入り。次週、12日開幕の「マスターズ」で悲願のメジャー制覇に大きな弾みがついた。優勝はダークホース、メキシコの27歳、カルロス・オルティスが13アンダーでツアー初優勝、同じ2位には世界ランク首位のダスティン・ジョンソン、4位にはブルックス・ケプカ(共に米国)。いずれも次週、必ず相まみえるライバルたち。マスターズは悔しさを晴らす格好の舞台となって松山にチャンス到来である。

 

 ショット開眼、パットに自信、次週が楽しみになった。ボギーなしの7バーディー、コースレコードと並ぶ63。18ホールでグリーンを外したのは1ホールだけ。「ティーショットも大きなミスがなく、パットがもう少し良くなれば期待がもてる」マスターズをにらみ、力強い言葉が飛び出した。「ずっと試しながらやっていることがうまくいきだした。ちょっとしたことに気が付いたこともありショットが良くなった。」-今季初のトップ10入り。ツアー6勝目を目指す意気込みばかりが出て泳ぎがちだった目に落ち着きと力が戻った。

 

 ショット開眼、見た目にも新しい発見があった。この日、徹底してフェードを打った。ドライバーではインパクトで頭を浮かせフィニッシュで背中が飛んでいく球を追った。インパクトで顎(チン)を右へ残す松山スイングのチンバック。その極端なほどのこだわりは姿を消し、肩の力が抜けて別人の趣きといったたたずまい。アイアンショットもフィニッシュまでしっかりと振り切り高い姿勢で球を追った。“英樹、変ったな”―思わずつぶやいたものだ。

 

 強い球を目指すとき、顎を引き、体を止めインサイドアウト軌道。インパクトを鋭くするためスイングアークは小さくなる。逆にフェードはふところを広くアウトサイドイン、フィニッシュを大きく振りぬいて体をターン。松山はシャープからスムースさ追求へ。変わったな、と感じた。
 第3日のことだった。その日、4,5番でダブルボギー、ボギーと順位を大きく後退させた。が、幸いパット好調、インで立て直し66、災い転じて福、8位へと順位を上げた。強気のパットが戻り気持ちがほぐれたのだろう。インはアイアンが見違えるようにキレを増し次々とピンを襲いバーディーを積み重ねた。ホールアウト後、パットの良さを指摘されると「まだまだ」と言いながらショットに関しては「ずっと試しながらやっていたことがうまくいってね」といっていた。
 そしてこの日だ。アウト3バーディーのインの12,13、16、17番とティーショット不安なし、ロングパットも狙いどころの打てるラインへ球を運び面白いようにバーディーを積み重ねた。パットがよかった3日目に次いで今度はショットが快方へ向かった。そう、ウジウジと治らない風邪をずーと引いていたような松山の病気は、“こだわりの強いインパクト”から“ラインだしのフェード”への転換で治癒したのである。これを称して「松山の開眼」と言いたいのである。
 当たらずとも遠からず。いや、当たらなくてもいい、と勝手を言わせてもらった。開眼が、なんであるかは、次週のマスターズしだい。好結果を期待し、その全貌が松山の口から明かされればと願うばかりなのである。マスターズを楽しみにしている。

 

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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