リッキー・ゆたか・ファウラー、26歳。祖父は日本人 ザ・プレーヤー選手権を勝つ 石川8位,松山17位 武藤のコラム


 米ツアー、「ザ・プレーヤー選手権」は石川遼が8位、松山英樹が17位と存在感たっぷり。松山は初日トップタイスタートと好調をキープ。いけるぞ!と思わせたが、2日目以降ショット、パットがかみ合わず中位に終わった・・。もったいなかった。

 石川は粘った。終始、パットの調子が良く上位で健闘した。ショートパットにクロスハンドを取り入れ、ちょっぴりジョーダン・スピース風。相変わらずドライバーのティーショットが不安定で、好調なパットを攻撃より守りに使わざるを得ず、もったいなかった。

 しかし、今季初のトップ10入りは見事。大会は“ザ・プレーヤー”を強調したツアーナンバーワン決定戦だ。ベスト8入りは他の試合の優勝に匹敵する。

初出場大会で遼、優勝に匹敵する好成績、松山に追い風

 ピート・ダイ設計の傑作、TPCソーグラス・コースは名物17番の浮島グリーンに代表される小さいグリーンが特徴。実は石川がこの大会初体験と聞いたときは驚いた。10代でマスターズに出場し続けながらどうして?という疑問である。だが、考えてみれば、その早熟な天才ぶりを買われマスターズには招待参加できても、自分の実力で出場権を得なければならない今大会には資格がなかった。

 その点松山はアマで予選から出場、着実にマスターズ出場、プロ入り後は順調に今大会には出ることができた。石川がプロ入りの際に「普通は急がばまわれと言うが、僕は急がば近道で」と最短距離を行くことを宣言した、その二人の対比において全く育ち方が違うことを改めて確認。

 だが、いま順調なのは松山で石川は苦戦という図式。しかし今回、石川が4日間、存在感を見せた。優勝に匹敵する好成績と決めつけては、はしゃぎすぎとおしかりを受けるかもしれないが、構わない。松山がいて、石川の成長こそ、待ちに待ったとき、そう、ここからが日本の本領を試す時である。

 日本といえば、ファウラーは九州出身の祖父とカリフォルニアの南米系米人の祖母を持つ日系だ。大学はオクラホマ州立大。現在はフロリダ・ジュピター在住。 最終日は母の日、現地のテレビに母・リニーさんと出演し、「僕をここまで愛情深く育ててくれたことを心から感謝している」と言っていた。ミドルネームに日本名の「ゆたか」。日本とのルーツを胸にゴルフと釣りとオートバイの好きな好青年だ。

 すごいことをやってのけた最終日に日本の今後の方向を見た。「ゆたか」は上り4ホールで5アンダーのすさまじいゴルフを見せた。バーディー,イーグル,バーディー、バーディーで首位タイである。中でも16番パー5のイーグルはフェアウエーウッドで右池からフックで右手前の旗に40センチの“オーケー”。17番は1メートルのバーディーだ。

 スペインのガルシアと31歳、ケビン・キスナー(米)との3人プレーオフも4ホール目の17番は1メートルにつけるバーディーで決着をつけた。その思いきりの良さ、前向きな気持ち、旺盛で冷静な闘争心と決断、そして実行力。背筋が寒くなったものである。

 日本人であって日本人でないもの。遼になく、松山にもなくてファウラーにあるものとはなんだろう。そんな言葉が駆け巡り、私は押し黙るばかりだった。

 ファウラーの目は確かに青いが、黒い短髪、涼しげな目、はにかむ口元に日本人が漂うのである。アメリカは容赦なく人を変えてしまうのだ。遼と松山の前に横たわる世界を思うとき、2人は大変だな、と改めて思う。2人の道のりを思うときため息が出る

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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