1926年第1回大会、伝統の「ノーザン・トラスト・オープン」はロサンゼルス郊外リビエラCC(パー71)で行われ、最終日、松山英樹は見事な追い上げを見せる4アンダー67、通算5アンダーの4位タイと好成績を収めた。首位は6アンダーで3人が並びプレーオフにもつれ込み韓国系米国人のジェームス・ハーンがダスティン・ホフマン(米)ポール・ケーシー(英)を下しツアー初優勝を飾った。
松山は1打差ながら4位。この日6バーディー、2ボギーと追い上げ前日の19位から大きく順位を上げた。これで今季、4回目のトップ10入り。前半出遅れたのを追い上げたのだから満足な成績と言っていいだろう。
「初日からアイアンの調子が上がっていたのでチャンスは出てくるかなと思った。14番の3パットを除けばいいゴルフが出来た」とホールアウト後に振り返り「優勝争いの中でゴルフをしたわけではないが、最終日にこうしてスコアを伸ばしていくことが大事。その点は満足」と今後に向けての収獲、と明るかった。
かつてロサンゼルスオープンと呼ばれた伝統のトーナメントはベン・ホーガンが得意とし、戦前戦後を通じて3勝をあげた。そんな背景からリビエラは「ホーガンの庭」と呼ばれるが、松山もまたこの日、自分の庭に変えて成長をアピールした。
米ツアーはこれでハワイ、西海岸の戦いを終え東海岸へ移動、「ホンダ・クラシック」からいよいよフロリダシリーズに入る。
石川遼にはフロリダはいいきっかけになるはずだ。 リビエラも含め3戦連続予選落ち。今季6戦中、19位がベスト。ここ数年のうちでもっとも悪い成績に“どうした”の声が聞こえるが、大胆予想を試みる。遼はフロリダで再生する、と見る。
根拠は2つの事実だ。リビエラの石川は第1ラウンドの8番でロストボールの8をたたいた。フェアウエーが中央のヘビーラフにセパレートされた名物ホールで、真ん中の深いラフに打ち込んでクオドロプルボギーの8。ひとホールで4オーバーはさすがに痛かった。このホール、3年前も同じホールでラフに入れ大たたきした。プレーヤーというのはこうしたことがあると同じミスをしないように逃げるか、あるいは再挑戦するものだが、石川の性格は後者だ。今回もまた罠にはまったことは想像に難くない。そんな不運もありながら石川は2日間を6オーバーと乗り切った。アプローチ、パットの好感触がフロリダで生きるだろう。
もう一つはニクラウスとオーバーラップすることがうれしい。ロスオープンを大の苦手としたニクラウスは、その理由を問われていった。「苦手?とんでもない。私にとっての西海岸はゴルフの原点に立つ大事な場所だ。ゴルフを始めた子供の頃の気持ちが、新鮮によみがえる」。
こういうことだ。中東部オハイオ出身のニクラウスは、上質のベント芝と良質なポワナグリーンで育った。大学生になったときリビエラや西海岸で初めて体験した芝は驚きだった。「バミューダ芝より硬く、初めて全英オープンのリンクスで経験したフェスキューとも違う芝があった。キクユという芝だと聞いたがお手上げだった」キクユはアフリカ生まれの蔓状の、根の強いベント芝。リビエラのラフにはびっしり生えてプレーヤーを苦しめる。コースの創立時、豪州からユーカリを輸入した時、一緒に西海岸に上陸した芝は瞬く間に近隣のコースに蔓延して今日にいたる。若くしてスターとなったニクラウスだったが、リビエラで体験するゴルフのむずかしさはショックだったという。
「シーズン最初のマスターズを第1のピークに据えたとき、西海岸は原点に立ってショットやスコアメイクの調整に不可欠のものになった。ここで優勝できるに越したことはないが、必死でやることの方が私には大事なことになった」原点にかえりがむしゃらに励むニクラウスの若い時代のエピソードである。
ニクラウスはロスオープンが終わると記者たちにいったものだ「これでフロリダシリーズは万全だよ」そんなニクラウスをアメリカのあるベテラン記者はこう評した。「ニクラウスの強さの秘密さ。自分の思うとおりに自分のやり方でニクラウスを成長させているのさ」
09年からアメリカに挑戦した石川は米7年、ツアー参戦3年目になる今年、もっとも悪いシーズン開幕を過ごして原点に立ち返った。良い準備を整えたように見える。