全米オープンの難しさが道具、コースの規制につながりメジャーが生まれ変わるかもしれない 武藤一彦のコラム


 “ゴルフの物理学者”ブライソン・デシャンボー(米)が逆転でメジャー初優勝。首位から5打差スタートの松山英樹は78を叩き17位、石川遼は18オーバー51位、今平修吾は25オーバー61位に終わった。
 第120回全米オープンは19日、米ニューヨーク州のウイングドフットGC(パー70)の最終日、アメリカの27歳、ブライソン・デシャンボーが3アンダー67をマーク、ただ一人アンダーパーの通算6アンダーで初優勝した。
 飛距離アップを目指し体重増によりパワーアップ、独自の理論で技術革新を取り入れた27歳は、深いラフ、高速グリーンをただ一人攻略した。大学時代に優勝したアマの最高峰タイトル全米アマに次いで全米オープンを制した。アマ、プロの2大タイトル制覇はタイガー・ウッズ以来、史上6人目だった。

 

 時代を変えたデシャンボー、パワーの勝利だった320ヤードをキャリーで飛ばすドライバーショットはランも入れると350ヤードを越えた。誰もが苦戦する深いラフからアイアンショットを高々と打ち上げた。力はピンチを脱出する最良の手段となった。超アップライトなアドレスは、高速グリーンを高弾道で制する最高の手段。一人野を往った。

 

 ドライバ―のロフト、7・5度。アイアンはツアーただ一人、カーボンシャフト装着、しなりで高弾道を自在に打ち分けた。物理学を趣味とし試行錯誤しながらもゴルフに取り入れ独自の世界を築いた。アイアンの長さは、大好きな7アイアンのレングス(長さ)37・5インチにすべて整え、6アイアンからピッチングまで、すべて同じ長さだ。「番手ごとにクラブの長さをかえなければ同じスイングで安定したショットができる」といい、変人扱いされたが、今季、体重を9キロ増、パワーアップ。8月の全米プロ、パワーゴルフで飛距離350ヤード越え、4位に入り自信を深めた。

 

 そして今回だ。歴史を知るものにとって目を疑うシーンが続出した全米オープンとなったことがデシャンボーを浮かび上がらせた。高速グリーンと昆布の群生したようなラフだ。
 この日朝、早いスタートの今平が15メートルのパットを3パットしたとき、「USGA(全米ゴルフ協会)、やってくれたな」-思わずつぶやいていた。何をやったか。そこにはやってはならないシーンがあった。今平が打った10数メートルのファーストパットは、カップのふちで止まったと思った瞬間、戻りはじめ再び今平の足元に帰った。このシーンは、その後多くの選手がくりかえしたのだろう、ボギー,ダブルボギーが山積、その数時間後、松山が今平と同じミスでダブルボギー。出鼻をくじかれたことでUSGAへの不信感となったことを明かしたい。
 このホール、2日目、松山がグリーン上、10ヤードのパットをウエッジでピッチしカップ5メートル先、そこから傾斜で転がし戻しカップインのバーディー、拍手喝さいをもらったホール。だが、最終日、松山は読み切れなかったというのは簡単だが、10数メートルの登りパットが元の場所へ戻るのは非常識とも思えるピン位置。あってはならない、と思うのである。

 

 しかし、難ホールについて再考すると、これが時代の変わり目と納得できる部分もある。何を納得するか?クラブやボールの技術革新である。トレーニング理論の発達で人間はより強化され、ゴルフはパワースポーツとなった。その結果、従来のゴルフコースはどこも距離が短く、最近のツアーは20アンダーが当たり前の世界。ゴルフを適正なフィールドに戻さなくてはならない。タフなセッティングにまい進するだけではなく、新たなメジャーの姿を求めて、あえて難ホールを設定した主催の全米ゴルフ協会(USGA)の意識的な心の内が意図として受け止めることができると思うのだが、どうだろう。
 コースの伸長、飛びすぎるクラブ、道具の規制をゴルフ界はウイングドフットで実行に移した世にさらしたと結論付けてみた。次回、11月のマスターズで新たな動きがさらに見えることになるだろう、と期待する。

 

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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