渋野日向子(サントリー、22)の全米女子オープンは健闘むなしく4位に終わったが、ナイスプレーと絶賛する。テキサス州ヒューストンのサイプレスクリーク(6731ヤード、パー71=36,35)で行われた最終日、4アンダー首位でスタートした渋野はボギー先行、前半で並ばれ、10、11番をボギーとし1アンダー、首位から2打差の4位だったが、見ごたえがあった。今後が楽しみだ。優勝は上がり3ホールを3連続バーディー、通算6アンダー67のベストスコアをマークした韓国のキム・アリス(25)がLPGA初戦、メジャー初出場を優勝で飾る快挙を引き出して面白かったし19人、史上最多出場の日本勢は高橋彩華が11位、笹生優花、岡山絵里が13位、畑岡奈紗は23位と先行きは明るい。
2番左ラフに打ち込んだセカンドショットを目前の木の枝に当てボギーとした渋野に暗雲が垂れ込めた。オースチン(米)マリヤ・ジュタヌガーン(タイ)との競り合いを優位に進めたが、7番、1メートルを外すボギーでオルソンに並ばれ、10番、11番は1・5、6メートルのパットを外すボギー、あっという間にイーブン、遂にオルソンに2打差2位と逆転を許した。
豪雨中断で最終日が月曜にずれ込んだ大会。気温6度。コースはぬかるみ球に泥が張り付くなど半年遅れの大会は緊張とメジャーの重圧も加わってタフなフィールド。だが、渋野は第2日首位に立ち、重圧も加わったのだろう、ぱったりとバーディーが出なくなり精神力が試された。驚くな。この日、13番パー5、待望のバーディーを3メートルのパットを沈め決めたのは、なんと第3日の5番以来26ホールぶりだった。その間,バーディーチャンスは何回も訪れたが一回も入らなかったのである。追われるものの重圧はいばらの道だったに違いない。すごい忍耐力を見せたことに驚いた。
展開も悪かった。最終組の3人がアンダーパーで競り合っているはるか前の組のキム・アリムが16番3メートルを入れ1アンダー、難易度2番目の17番セカンドを50センチにつけ2アンダー、さらに18番2メートルを入れる3連続バーディー、上位陣をあざ笑うかのような奇跡的なゴルフで優勝をさらった。激戦ではこうした反動として思わぬヒーロー(今回はヒロイン)が現れるものだが、この筋書きもドラマチックで良かった。
渋野は「自分らしいゴルフができなかった。こういうゴルフでは勝てないな、と思いながらやっていた。パーパットがよく入ったことだけおぼえています」第1日68、1打差2位、2日目6バーディー、2ボギー67、7アンダーの首位に立ち1度も首位を明け渡すことなく最終日を迎えた。充実感はあったのだろう。4日間、存在感があった。「自信は、1、2日目はあったけど、プレッシャーがかかってからがもう一つ。パーパットはよく入り、4日間ダボは打たなかった、成長したかな、と思うけど、いま、悔しい気持ちは強くなった」-ホールアウト後、あの晴れやかな笑顔は見られなかった。やや渋めの笑顔でいった。「来季はシードを取れる。そんな自信はついた。新しい自分のゴルフを目指したい。日本でしっかり戦い来季は(米ツアーの)シードを取りたい。いまは新しい自分のゴルフをめざしたい、そんな気持ち」―力強い自信にあふれた決意が頼もしかった。
20歳で日本メジャーを含め5勝、全英女子オープン優勝。21歳はその反動だったか、小さなスランプに見舞われたが、苦労して克服した。
実は22歳の渋野の全米女子オープンには今回密(ひそか)に期待していたことがある。22歳がキーワードだ。今回勝っていればあの伝説の全米女子オープンただ一人のアマチャンピオン、キャサリン・ラコステ(仏)に並ぶ快挙だった。父・ルネ・ラコステは1926、27年のウインブルドン2勝のテニスプレーヤー、ティオン・ド・ラ・ショーㇺを名乗っていた母は27年、ゴルフの全英女子アマチャンピオン。その子カトリーヌは1967年夏、バージニア州ホットスプリングスの全米女子オープンでフランスから単身遠征しアマ優勝した。渋野はプロだ?関係ない全英女子オープンに勝ち、次いで初参加の全米も勝てば22歳の優勝だった。ゴルフは今や男女とも若者の新時代だ、と夢を勝手に描いていたが、残念だった。でもいいプレーを見せてもらったと感謝する。22歳で今年はならなかったが、来年2021年の女子オープンが例年通り6月に開催されれば渋野もう一回22歳優勝のチャンスだ。22歳は2回も楽しめる全米オープンが見逃せない。