石川遼 今季初参戦の日本ツアーで勝つもはしゃがず騒がず 24歳の成長を見た 武藤のコラム


 遠征から帰国した選手が優勝する確率は昔から高い。石川遼が帰国して今季日本ツアーに初参戦した札幌・輪厚コースのANAオープンで鮮やかに優勝した。

 3年目を迎えた米ツアーで最後ぎりぎり124位でシード獲得と苦戦したのがウソのよう。3日目に昨年賞金王の小田孔明と首位に立つと最終日、2位以下に2打差をつけ楽勝した。

 雨と突風混じりの悪コンデションの4日間、ドライバーを使い続け“力のゴルフ”を通した。今季の米ツアーでは刻むゴルフに徹していただけに、久しぶりに新鮮な攻撃ゴルフは、昔の映画を見るようで楽しかった。

 しかし、まだ揺れ動く自分のゴルフへの確信というか、自信というものがない不安はぬぐえなかった。最終日、アメリカで苦しんだドライバーショットは上がり2ホールで右林へ入れて石川をこわしにかかった。

17番はパー5でなんとかパー。最終ホールは木立の縦横5メートルほどの空間を低いスライスで打ち、グリーン前に運びパーで事なきを得た。ギャラリーはアクロバチックなゴルフに“やんやの拍手”を送ったが、いただけない。米ツアーならあの状況を作ること、即,敗戦につながる。

 青木、尾崎、中島、尾崎直道、伊沢、片山、金庚泰、ベ・サンムン。歴代の賞金王を見ても米ツアーで苦戦しても日本に帰ると苦戦がウソのように勝ち続けた。タフな世界の選手層、ハイレベルを追求する環境は強い選手を育てる、と言われたが、どうだろうか。

 石川は「今年は戦略を重視したゴルフでアメリカをたたかったことで攻める気持ちの不足を反省、(今大会は)チャレンジが好きだという自分の原点を全面に、攻めのゴルフに徹した」という。しかし、ここ2年の石川は揺れ動いている。攻めて引き、引いては攻めの繰り返しだ。

 今大会、3日目までのドライバーのフェアウエーキープ率は28・57パーセントの最下位(スポーツ報知20日付け)だった。好調のパットが、大荒れのドライバーショットを上回りスコアメイクに貢献した。それもゴルフだろう。ロングヒッターが力を前面に出し、曲がりのリスクを恐れず戦うパワーゴルフは背筋に旋律が走る魅力にあふれて面白い。320ヤードを常時打つジェイソン・デイやマキロイだが、要所は周到な作戦を駆使する。リスクを回避する場では徹底して刻んでくる。

 攻め方は人それぞれの選択の余地であり、他人がどうこう言うもの踏み込んではいけない領分と知りつつ、敢えて書いているが、あと一つ。石川の今回の優勝は日本のコースだから起こる現象、という推測を提供したい。

 要するにやさしすぎるのだ。今回もドライブ&ピッチコースだった。ドライバーを打った後ピッチングウエッジ、少々距離が残っても7アイアンというセッティングだ。好スコアは出やすかった。世界的にコースは短くなったといわれるが、その通りだ。

 クラブとボールとトレーニングシステムが発達。球はどこまでも飛ぶ。ラフやバンカー、ウォーターハザードが必至で阻止しにかかるが、追いつかない。これは石川のせいではない。だが、フェアウエーキープ率2割8分をアメリカでやったらゴルフにならなかったはずだ。

 日本のコースは飛ぶクラブ、飛ぶボールの最大の被害者である。コース面積の狭さ、短さ、芝の違い、なによりコースの営業面重視の経営方針は回りやすく優しいコースが大前提だ。これでずーっとやってきた。そのため日本では通用するが、タフな外国では通じないひ弱なゴルファーしか育たない。残念ながらそれが現実である。

 “ANAオープン優勝”が石川の復活への足掛かりになるといい。今季アメリカで苦戦の中、ひたむきに追求する姿は心打つ迫力があった。いい人生を歩いている、と好感が持てた。人生は照る日、曇る日。良いこともあれば悪いことも起こる。この日の勝利が後者でないことを祈る。勝っておごらず。むっとした顔でカップを掲げたその顔に、はしゃぐな、と書いてあったのが読み取れてうれしかったよ。

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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