岩田寛4位、初勝利逃す 武藤のコラム


 米ツアー日本人5人目の優勝がかかった岩田寛(35)の「AT&Tプロアマ」は14日、米西海岸の名コース、ペブルビーチゴルフリンクスで最終日を行い、1打差2位スタートの岩田は最終組で健闘したが、4位に終わった。大会4回優勝のフィル・ミケルソン(米)と同組の岩田は11番のバーディーで16アンダーとして、スタート時、首位ミケルソンとの2打差を逆転、首位にたった。しかし、終盤に力尽きた。優勝は首位から6打差のボーン・テイラー(米)が、65をマーク、通算17アンダーの逆転勝ち、11年ぶりの優勝を飾った。

 手に汗握る最終日最終組の攻防は岩田がミケルソンを相手に一歩も引かず好ゲームを展開した。アウト6、7番はピンにつけるバーディーでミケルソンに1打差。11番は第2打をあわやカップインの会心のショットでバーディーにするとミケルソンがアプローチをミスするボギーで逆転した。

 岩田はウエアのえり元にネクタイをプリントした”正装スタイル“で試合に臨んだ。静かな男が唯一こだわるアメリカブランドのファッションだ。胸のネクタイはマスターズ4勝、全米プロ、全英オープン優勝。2019年全米オープン開催の名門コースとその大会で勝てば4メジャー制覇のグランドスラマーとなるミケルソンへの敬意とうかがえた。気合の表われでもあった。ドライバーは2回ほど曲がったが、アイアンは切れた。イン入るとバンカーにつかまることが多かったが、グリーン周りはアプローチも含め大会を通じて安定、安心してみることができた。

 堂々の戦い。しかし、過去3日間で必ず決まった5、6mのバーディーパットがことごとく外れた 16番、左傾斜の右ラフに外したのが運を分れ目となった。絶妙のタッチのアプローチはカップそばで止まったと思った瞬間、加速すると3メートルオーバーした。強めに打ったパットは右サイドに外れた。はるか前をノープレッシャー、13番から4連続バーディーで17アンダーのボーンとあっという間に2打差が付いた。

 前週の松山の優勝に続く日本人初、米ツアー2連勝がかかった。初優勝すればすべての夢がかなう人生の勝負所だった。30歳のとき両親を前に「一つお願いがある」と正座。「アメリカツアーにいかせて」と畳に両手をついた岩田だった。だが、ツアーの世界は個人の欲求や都合に目をくれる世界ではない。この日、ミケルソンはアメリカ中の期待を背負う重圧のなかに身を置いた。4つのバーディーを取りながらボギー4つをたたきツアー43勝目、ペブルビーチでの5勝目を目指したが、1打及ばなかった。祖父がかつてキャディーを務めた思い出の地、地元である。グランドスラムまであと全米オープンの1勝に迫った45歳には、この試合での優勝は偉業達成に弾みとなる絶好の機会。だが、結果は出なかった。勝負の世界はグッドジョブ(good jobいい仕事)をするだけではだめなのだ。いい仕事をし、なお優勝しなくてはならない。

 この日の勝者、テイラーは2003、4年の「レノタホオープン」(現バラクーダ選手権)2連覇の実績で今大会ようやく出場できた。そんな昔の実績がいきていたのかと驚くほど昔のこと。米ツアーは勝者には寛大なのだ。 テイラーはチャンスを生かした。岩田の健闘に興奮し優勝を切に願いながら展開するトーナメントだったが、ようやく試合に出る喜びに感謝しながら全力でぶつかる39歳のテーラーはけなげに見えた。と同時に次々とバーディーだけを積み重ねるそのゴルフの半分でいいから「岩田にわけてください」と何度祈ったことだろう。しかし、それもまた勝負の前にはいらぬこと。それが勝負の世界なのだ。

 その証拠に最終組がホールアウト、優勝が決まった瞬間のテイラー一家の姿には万人の胸を打つ感激があった。泣きじゃくるレオ夫人と何があったのか理解できずきょとんとした2歳の長男ロクリン君と優勝者が一塊となっていつまでも続く喜びの姿こそこの場にふさわしかったものである。勝者は常に美しくある。健闘の岩田にペブルビーチは良いものをふんだんに盛り込んで見せてくれた。

 

武藤 一彦(むとう・かずひこ)
ゴルフジャーナリスト。コラムニスト、テレビ解説者。報知新聞には1964年入社、運動部に所属、東京オリンピックはじめボクシング、ゴルフ、陸上担当。編集委員、専属評論家も務めた、入社以来50年、原稿掲載の”記録”を現在、更新中。
日本ゴルフ協会広報参与、日本プロゴルフ協会理事を経て日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、日本ゴルフ振興協会広報メディア委員、夏泊ゴルフリンクス理事を務める。

ゴルフは4メジャーのほか、ワールドカップなど取材、全英オープンは1975年から取材し日本人記者のパイオニア的存在。青木功のハワイアンオープン優勝にも立ち会った。1939年生まれ。東京都出身、立大出。

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